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「もう結婚も子どもも無理だね」母の言葉に「俺だって、こうなりたくてなったわけではない」…それでも知的障害と発達障害を抱える43歳男性がたどりついた場所

集英社オンライン / 2024年3月30日 12時0分

いじめ、オムツしてひきこもり、発達障害…自称「生きづらさ5冠王」の43歳男性が、給料泥棒と罵られ30回以上の転職を繰り返しても働きたい理由〉から続く

大橋史信さん(43歳)は小学3年生のとき、いじめられて不登校に。親にも「いじめられるお前が悪い」と理解してもらえず苦しんだ。その後も対人関係でトラブルを起こし、30回以上転職を繰り返すかたわら、断続的に10年以上ひきこもってきた。そんな大橋さんが人とのつながりを取り戻し、「命の宿題」をやり続けるわけとは――。(前後編の後編)

【画像】「ひきこもり支援は“命の宿題”」と語る、ひきこもり経験者の43歳男性

両親に拒絶され、ひきこもる

仕事を辞めてはひきこもり、また新しい仕事を始める。そんな生活をくり返していた大橋史信さん(43)が変わるきっかけは、不注意で職場の鍵をなくしてしまったことだった。



子どものころから傘や手袋など忘れ物が多くて母親によく怒られていた。だが、さすがに職場の鍵をなくしたのは初めて。「もう本当に無理だ」とひどく落ち込んで、33歳のとき精神科クリニックを受診した。

詳しい検査の結果、軽度精神遅滞(IQ65)、発達障害ADHD(注意欠如/多動症)、ASD(自閉スぺクトラム症)、二次障害として適応障害があると診断された。

以前から、上司などに「何かしら(障害を)持っていると思うから、病院に行ったほうがいい」と何度も指摘されていた。そのたびに心療内科を受診したのだが、検査もせず適応障害と診断され、通院をやめてしまっていた。

「私、ちゃんと診断がつくまでに8か所通っているんですよ。余計な回り道をしたなとは思いますよ。ただ、当時の自分にとっては必要な時間だった。たぶん、いろいろやらかしてなければ、わがままや怠けじゃなく、障害のせいだったって気づけなかったから」

生きづらさの原因がわかり、そこから回復に向かったのかと思いきや、実際は逆のほうへと進む。

原因は両親の拒絶だ。自分には知的障害と発達障害があると話すと、父親は話を聞かずに逃げてしまい、母親にはこう言われた。

「もう結婚も、子どもを持つことも無理だね。私が死んだらすぐ迎えに来るね」

ショックのあまり、大橋さんはひきこもったまま1年近く部屋から出られなくなってしまう。そのときの苦しさをこう表現する。

「ある日突然、マンホールに突き落とされて、前後左右、真っ暗闇になってしまい、何が起こったかわからないような状態。本当に不安で不安でしょうがなかったですね。で、しばらくすると上のほうから声が聞こえてくるんです。なんで働かないんだって。説教の声しか聞こえてこない。不登校のときもそうでしたが、誰一人、私の目線に降りてきて、史信、どうしたんだ、お前の気持を聞かせてくれないかと言ってくれた人が、私にはいませんでしたね。

だからすごい悔しかったし、世の中も親も先生もすべて恨みました。こうなったのはテメーらのせいだ。俺だって、こうなりたくてなったわけではない。お前らの言うことを信じてやってきたのに、何で俺はこういう目に合わなければいけないんだ。俺の話、誰か聞いてくれよっていう気持ちが強かったですね」

自分の特性を学び、障害をオープンに

苦しい気持ちを聞いてもらうために大橋さんが自室から出て向かったのは、それ以前から存在は知っていたKHJ(特定非営利活動法人 KHJ 全国ひきこもり家族会連合会)という家族会だ。

家族会に参加している人の多くは、ひきこもりの子を持つ親たちだ。大橋さんは自分の親の代わりに、他の親に向かって、絶叫した。

「母ちゃんが悪いんだよ!」「母ちゃんが悪いから息子はこうなるんだ!」

当時のことを知る人に聞くと、「なんで知らない人にそんなことを言われなきゃいけないんだ」と怒り出したり、苦情を言う親もいたそうだが、大橋さんは、聞いてくれる人がいたおかげで回復に向かうことができたと何度も感謝の言葉を口にする。

「私がひきこもりから脱出できたのは、人薬と時薬のおかげなんです。世の中でもう一度生きてみようと思うには、人に癒やされる必要があるんですね。それが人薬。人っていいな、人に甘えていいんだなっていう感覚を、時間をかけて取り戻していく。だから時薬なんです」

障害特性についても学び、自分には「多動・多弁」「ダブルブッキング」「ものをよく忘れる、落とす」「締め切りが守りにくい」「手先が不器用」「感情の出し方が苦手」などの症状があると伝えるようにした。それを「自分の取扱説明書」だと、冗談めかして言うのが大橋さんらしい。

「私がそうだったように、発達障害の人って自分のことが自分でわかっていないことが多い。だから、大風呂敷を広げないようにするためにも、できることと、できないことを、ちゃんと言えるようになることが大事なんですね」

精神障害者福祉手帳を取得。障害をオープンにして、できる範囲で就労する一方、障害年金の受給も始めた。

ピアサポーターとして相談に乗る

元気になるとピアサポーターとしての活動も始めた。ピアサポートとは同じような立場の人によるサポートという意味で、話を1聞けば10わかるという強みがある。大橋さんはひきこもり経験者として当事者や家族の相談に乗ったり、支援団体や自治体などの依頼に応じて自分の体験を話したりした。

ある地方都市で行なわれた講演会に同行してみた。ひきこもりの当事者や家族、支援者など数十人の聴衆を前に、大橋さんは自分の親との確執、ひきこもったときの気持ち、ひきこもりから脱したきっかけなど、ときに冗談を交えながら話していく。障害があるとはとても思えない、よどみない口調だ。

講演が終わると、1人の中年女性が「ひきこもっている子どもの相談をしたい」と大橋さんに話しかけてきた。大橋さんは快諾し、女性に子どもだけでなく他の家族の様子も聞いていく。状況をていねいに聞き取った後、すぐ取り組めそうなことからアドバイスをする。

「おはよう、おやすみとか、あいさつでもいいし、テレビの話題でもいい。どんどん子どもさんに話しかけてみて。自分がここにいても否定されないと本人が感じるようになると、何かしら反応が出てくると思いますよ」

今後も電話で相談にのれることを伝え、「母ちゃんが一人で抱え込まないで」と励まして別れた。

 ひきこもり支援は“命の宿題”

生き生きと相談に乗っている様子から、やりがいを感じているのはわかるが、自分の失敗や過去をすべてさらけ出すというのは勇気がいるものだ。どうして、そこまで全力で支援を続けているのかと聞くと、大橋さんは即答した。

「私の命の宿題だと思ったからです。私だって、ひきこもりや不登校、発達障害になりたくなかったですよ。でも、なったからには何かの意味がある。なったからには何かやらなければいけない仕事をもらったんだろうなと。だから、命の宿題。僕がもらった宿題はこれなので、一生懸命回答しているんです」

2020年に一般社団法人「生きづらさインクルーシブデザイン工房」を設立して代表理事に。生きづらさを抱えた子を持つ親や支援者などが理事になり、大橋さんが苦手な作業をサポート。居場所を運営したり、合同相談会などイベントを手がけたりして、当事者や支援団体の横のつながりを広げることにも尽力した。

22年には『不登校・ひきこもり・発達障害・LGBTQ+ 生きづらさの生き方ガイド~本人・家族の本音と困りごと別相談先がわかる本』を家族関係心理士・心理カウンセラーの岡本二美代さんとの共著として出版した。

大橋さんが13組の当事者や家族にインタビューをして生の声を紹介。困ったときにどこに相談したらいいのかという情報を網羅して掲載している。

昨年12月から今年1月にかけて講演と合同相談会のイベントを3回連続で主催するなど、超多忙だった大橋さん。助成金の残務処理が終わって落ち着いたら、もう一度取材する約束をしていたのだが、それは叶わなかった。

3回目のイベントを終えた2日後、今年の1月10日に、大橋さんは突然の病で急逝した――。

 「頑張って俺も生き抜いてきたよ」

大橋さんは4年前に父親を、1年前に母親をがんで亡くしている。大橋さんは生前、「本当に寂しい」とよくこぼしていた。

「父が亡くなった後、母が泣きながら僕に謝ったことがあるんです。すぐ切れるところがお父さんそっくりで、あなたが怖かった。どう向き合えばいいのかわからなかったって。親は親なりに一生懸命考えてやってくれていたんですね……。そうやって、少し客観的に見れるようになったのは、やっぱり皆さんと出会ったおかげなんです」

自分が変わったことで、親の気持ちも理解することができたのだろう。同行した講演会の最後に、アニメ映画『鬼滅の刃 無限列車編』のワンシーンになぞらえて、両親への深い想いを口にしていた。

登場人物の一人である煉獄杏寿郎が敵との戦いに敗れて亡くなる間際、亡くなった母親の幻影に「俺はやるべきこと 果たすべきことを全うできましたか?」と聞く。母に「立派にできましたよ」とほめてもらい煉獄は安心して旅立つのだが、大橋さんは自分が求めているのも、まさにそれだと強調。そして、真剣な表情で続けた。

「いつかあの世で父ちゃん、母ちゃんに会ったとき、俺は父ちゃん、母ちゃんの子どもでよかったよ。頑張って俺も生き抜いてきたよ。そう胸張っていきたいなと思っています」

自らの言葉通り、今は両親に思う存分甘えて、ほめてもらい、あの人なつこい笑顔を浮かべているのだろうか――。

*この原稿はご遺族の許可を得て掲載しております。謹んでご冥福をお祈りいたします。

取材・文/萩原絹代 

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