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林家木久扇「笑点」の54年「4月から座る人は大変だよ。あの席にはいろんな仕掛けがあるの。僕が何十年と積み上げた仕掛けがね」

集英社オンライン / 2024年3月31日 16時30分

〈笑点卒業〉木久扇が愛した昭和の怪人“横山やすし・立川談志” との宇宙人レベルの交流…タクシーでキレ散らかすやっさんと参院選で「笑ったやつは一票入れて」と談志との思い出〉から続く

林家木久扇師匠が本日3月31日の放送をもって「笑点」を卒業する。インタビューの後半では、笑点メンバーにいじられ続けた「木久蔵ラーメン」をはじめ、54年出演し続けた笑点の思い出を、新著『バカの遺言』(扶桑社新書)をもとに振り返った。

田中角栄に相談した、木久蔵ラーメン

――落語家になって63年。特に落語が好きだったわけでも、落語家を目指していたわけでもなかったというのは驚きでした。

林家木久扇(以下同)
 いつもきっかけが、僕が決めたことじゃなくバッて変わるんですよね、場面がね。身を任せるというか、主体性がないというかね。



――おもしろいなと思ったことに寄っていく。

そうですね。漫画家を目指したときに師事したのは清水崑だし、中国でラーメン屋をやろうと思ったときは田中角栄でしょ。大元みたいな人のとこに行っちゃうんだよ。

当時中国で何かやるには田中角栄だった。なんとか繋がろうと、半年かかったけどね。第一秘書のね、早坂茂三さんっていう人がいて、その人の子どもさんが笑点ファンで。

「あの人笑点ではいつも怒鳴られて座布団もないから、お父さん助けてやってよ」って言われたからって、早坂さんが角栄さんとの時間を作ってくれたんです。

――座布団もないから(笑)。

でも角栄さんの口利きということで、中国で1000坪の土地を紹介されてしまった。僕が考えているのは、14坪ぐらいの立ち食いの店だったのに(笑)。

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――師匠のご経歴って、都立中野工業高等学校の食品科学科を出て乳製品の会社に勤めて、漫画家、そして落語家っていう、たぶん誰も歩んだことのないものですよね。ゆえにご苦労も多かったのでは。

辛かったのは落語家になりたての頃。前座として楽屋に入ったわけですけど、そこで時計の下に立って、師匠に時間の合図を送るという役を命じられてやってたら、評判悪くなっちゃってねー。あいつは入ったばっかりで何もしないって。

新宿末広亭の初高座では、「木久ちゃん、今日は頑張って。短くね」って言われたんですよ。「短くってどのくらいです?」「3分ぐらいでいいよ」。3分って言われても僕、「寿限無」しか知らないし、縮めるっていうことを知らないんですよ。

どうしようかなーと思って。それで、当時流行っていた森山加代子の「月影のナポリ」っていう「♪ティンタレラ ディ ルナ」で始まる歌を高座で歌ったの。歌い終わって、楽屋に戻って来たら「シーン」としちゃって。「誰が歌えって言ったんだ、落語やるんだよ馬鹿野郎」って、先輩が。でも円楽さんだけは、一人おもしろがって「木久蔵ってやつは歌うんだ(笑)」って。それから僕が高座に上がる姿見ると「今日、木久ちゃん何歌うの?」って。

――そのときのお客さまはどんな反応だったんですか……?

シーンと。

――お客さまもシーンと(笑)。

だって歌だもん。なんだって若い子が歌ってんだろう?って。

――度胸がすごい。

いや、わかんないから(笑)。そこんとこがバカっていえばバカなんですよ。

駆け出しの頃は失敗だらけ?

――度胸と機転ですよね。

でも、やっぱり事故になることもありましてね。(桂)三木助師匠がお亡くなりになってから(林家)正蔵師匠のとこに入門して、そこで芝居噺っていうのを初めて知ったの。夏に怪談噺をやるんですよ。

師匠が怪談噺をやる間、弟子は釣り竿に細い針金くっつけて、綿に焼酎染みさせて火をつけて火の玉にして、それを師匠の後ろから出す。師匠が「そなたは豊志賀、迷うたな」って言ったら、スッと火の玉を出して。

でも奥行が狭いんですよ、末広亭って。芝居小屋じゃないから。だから、横に振らなくちゃいけない。でも、慣れてきて片手でそれをやるようになって。しかも他の噺家と喋りながらやるようになったら、あるとき師匠の髪に火の玉くっついちゃって。「アチ~!」って言って、大変でした(笑)。

――え!?

舞台袖で「談志さん、暑い晩だから、はねたらビールかなんかお願いしますよ」「おめぇしょうがねえな、そんなこと言っちゃあ」とか話してたら……「ジュッ」って。師匠髪にポマード塗っているから、ボッと。

――怒られました……?

弟子たちは「師匠が怒るぞー」つって。案の定師匠が「馬鹿野郎ーー!」って降りてきて。私たちは怒られるのは怖いけど、でもちょっとおかしくてしょうがない。火が付いちゃって燃えちゃったんだからさ。そういうことがずいぶんとありました。なんかドラマみたいでしょ(笑)。

――師匠のお人柄だと思いますが、失敗話もおもしろくなっちゃう。

あと楽屋の中でも稼ぐのが上手いんですよね。楽屋でチキンラーメン売ってたの僕だけですよ。60円で買ってきてそれを1杯100円で売ったのかな? 

みんな腹減って入ってくるんですよね、(林家)三平さんとかね。「お腹空いたなー」「何か食いに行かなくちゃ」なんて言ってるから、片手鍋買ってきて、楽屋のコンロ使ってチキンラーメン作る。そしたらみんな買ってくれて、三平さんなんか「1000円でいいから」って言ってくれて。結構儲かるなと思ったら、(三遊亭)圓生師匠が「なんですか、この匂いは?着物に付きやす」ってダメになっちゃった。これも伝説になった。

――ビジネスの感覚がそこから始まってたんですね。

でも別に一人で稼いだんじゃなくて、儲けたお金でおそばをとって前座同士で食べたりなんかしてたんですよ。おごってくれる人だ、って思わせて(笑)。

――本を読んでいて思ったのが、師匠は、ビジネスのためのアイディアを出したりチャレンジするのはすごく好きだけど、お金自体にはあんまり執着がないのかなと。

商売が始まっちゃうとね……人に渡してやってもらってましたね。ラーメン屋27店舗やってるんですけど、そういう人はいないんですよ。

「あの席にはいろんな仕掛けがあるの。」

――笑点ではおなじみの“木久蔵ラーメンはまずい”というイジリも、師匠発信だったと本で知りました。

チラシもポスターもないんで、この商品をメジャーにするにはどうしたらいいかっていう。普通、大手だったら「まずいラーメン」って言わないでしょ。でも、笑点に出ていて落語家だからっていうんで、おもしろがってくれると思ったんですよね。

仲間にも「まずいって言ってよ」ってお願いして。人には判官贔屓っていうのがありましてね。「まずい」「まずい」って言っていたけど、本当はそうじゃないんじゃないのかって思って買ってくれる人はすごく多かった。

――斬新すぎますよね。

ちょっと、逆をね。

――やっぱり、これから日曜のあの時間に木久扇師匠が見れないって、現実味が湧かないんですよね。あの国民的人気番組の、ほぼすべてを知っている方ってもう師匠しかいらっしゃらないじゃないですか。

やっぱり難しかったんですけどね。司会者変わる度に性格違うから。しかも強烈な方ばっかりだからね。最初からもう談志さんでしょ。それに合わせてね、自分を出してくっていうのが結構難しい。

――笑点で特に印象に残ってるシーンはなんでしょうか。

初めてのサンフランシスコでの海外ロケですね。桜祭り収録に行ったんですよ。アメリカはジャズの国だから、好きでよく口笛で吹いていた「セントルイス・ブルース」で何かできないかなって思って。それで「いやん、ばか~ん」って替え歌にして出したんですよ。そうしたら、向こうのお客さんが足踏み鳴らして口笛「ピー」って大ウケ。「いやん、ばか~ん、そこはお耳なの、うふん」って、あの歌はそのアメリカ収録の時に誕生したんです。ウケたから日本で収録したら10万枚になったんですよ(笑)。

――常にアイディアを生み出し番組を盛り上げてこられた54年。4月から笑点のあの席に座る方はすごいプレッシャーなのではないでしょうか……。

大変だと思う。ただおもしろいことを言えばいいのかと思ってやると、僕がやった仕掛けがいっぱいあるからね(笑)。4月からは突然そういうのがなくなっちゃうわけで。ある程度時間はかかると思いますね。そう、あの席にはいろんな仕掛けがあるの。何十年と積み上げられた仕掛けがね。

取材・文/西澤千央 撮影/野﨑慧嗣

バカの遺言

林家木久扇
バカの遺言
2024年3月1日
1012円(税込)
新書判
ISBN: 978-4594097035
半世紀以上もの間、「黄色の与太郎」としてお茶の間に笑いを提供してきた木久扇師匠が、自らを表すときに使うのが「バカ」という言葉。実際には、多才でクレバーな木久扇師匠が、なぜ「バカ」という哲学を貫いてきたのか? 今までに出会った偉大なバカや、新旧笑点メンバーについて「今だから言える話」も教えてくれます。 バカの天才である木久扇師匠が語る「人生を生き抜く極意」が凝縮された一冊!

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