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男だらけの東大で学んできた女性の歴史…女性入学者ゼロだった学部、「私設秘書」に登用された才女、「点取り虫」「ギスギスしてドライ」と揶揄された過去も

集英社オンライン / 2024年4月6日 11時0分

東大に蔓延する女性差別の伝統“東大女子お断り”サークルの実態…優位なジェンダー秩序を維持するための「他大女子への”バカいじり”」〉から続く

今年、東京大学の一般選抜(2024年度)に合格した女性の割合は19.4%。過去最高となった昨年の22.7%より大幅に低下した。いまだ約8割を男子が占める男子校といっても過言ではない東大では、女子学生に対してどんな意識で女子学生を受け入れてきたのか。『なぜ東大は男だらけなのか』より一部抜粋・再構成して戦後、女性の入学者ゼロの学部があった時代から遡って紐解いていく。

名ばかりの共学

女性を教える立場にあった東大の男性教員は女性学生をどう思っていたのだろうか。

戦後の占領下において、表立って共学化に反対する声は学内からあがらなかったようである。むしろ、すでに見たように、戦後初の総長だった南原繁は女性が東大に入ることには好意的であった。入学式での言葉に加え、女性の1期生にはその後、「何か困っていることがあれば、いってきなさい」と気にかけていた*15。



また、法学部教授でアメリカ政治を専門とし、アメリカからの教育使節団に応対した高木八尺は、男女が本質的に平等であるとする「リベラルな高等教育」に賛成していた。アメリカの団員に対して、自分の娘を育てた体験をもとに、「日本の将来は性別による差別ではなく、知識(インテリゼント)によってその身分が決められるべきである」と主張していた*16。

男性と同様に優秀なのであれば、女性が入学することは構わないというのが東大の基本姿勢であり、共学化をめぐっては教員間でとくに激しい議論はなかったようである。むろん、それは占領軍の方針だったから、表立っての反対も難しかった。

戦後すぐの1946年に東大に入学した藤田晴子は、在学中に法学部教授の田中二郎に高く評価され、助手として採用された(とはいえ、そのまま教員として採用されることにはならなかった)。

同じくその年に入学した舟橋徹子は経済学部教授の大内兵衛に気に入られ、「私設秘書」としても働いた。もちろん、男性の学生は「私設秘書」などにはならなかったから、舟橋に対する大内の評価は彼女のジェンダーと不可分なものであった。それでも、舟橋を信頼できる、極めて優秀な学生とも見ていたようだ*17。

このように個々の教員が女性学生を評価する例はあったものの、戦後すぐに女性学生の存在が、東大教員の強い関心を引くことは総じてなかったようである。共学になったとはいえ、東大は圧倒的に男の大学であった。

1946年の工学部入学の女性がゼロだったことからも明らかなように、とくに理工系学部では、女性の存在感はほとんどなかった。東大全体で女性の入学者が100名を超えたのは戦後20年近くを経た1964年である。共学とは名ばかりで、教授も全員男性だから、どこを見ても男しかいないようなキャンパスだった。女性の存在は、さして話題にもならなかった。

東大教員の東大女性論

そのようななかでも、女性の大学生について積極的に論じていたのは教養学部の教員であった中屋健一である。東大文学部を卒業し、戦前から戦中にかけてはジャーナリストとして活動し、戦後は長らく教養学部でアメリカ史の教員として活躍した中屋は、日本の大学や社会に関しても多くの論考を残した。

1958年に出版された『大学と大学生入学から就職まで』(ダヴィッド社)では、東大をはじめとする日本の大学と大学生の現状を批評していた。もともと新聞などに発表されたエッセイを集めたもので、学術書ではないが、それだけに当時の社会状況に関する中屋の時事的な本音が率直に記されている。

その頃、中屋は東大の助教授であったが、知り合いに頼まれて、ある私立女子大の臨時講師としてもアメリカ史を教えていた。その経験をもとに、女子大を厳しく批判するようになる。

同書によれば日本の女子大は「花嫁学校」に過ぎない。施設はきれいでも、図書館は貧弱で、教員の「学門的水準は普通の大学と比べてはるかに低い」。学生を「甘やかし」、でたらめな教育をしている。学生の側も概して目的意識が希薄で、真面目に勉強をしようとしない。「卒業論文なるものは、少数の例外を除いて、論文ではなく作文にすぎず、中にはお伽話みたいなものもある仕末である*18」。

中屋にすれば、そのような学生が就職難に直面するのは当然のことだった。「女子学生は男女共学の大学を卒業したものでも、実力の点において男子に劣っているという一般的な事実」があるから就職先を見つけるのが難しいのは仕方がない。「いわんや、女子大学のように、女子だけ集めて甘やかして教育しているような学校の卒業生」は使いものになるはずがないと厳しく批判していた。

その一方、中屋は東大の女性は例外的に優秀であることを強調していた。「公務員、ジャーナリズム関係、教員、学者など」「男女の差別待遇は全くないはず」の分野で現に東大卒の女性は就職し、活躍していると誇っている。中屋によれば、「要するに、女子に適する職業さえ選べば、そしてその学生の実力が充分であれば、就職難などというものはあり得ない」のだった。

東大卒の女性は社会で活躍できているのだから、他大学の女性学生が就職に苦労しているとすれば、あくまで本人の資質の問題であり、社会構造に起因するものではないと中屋は考えていた。実際には東大の女性学生も就職にひどく苦労していたわけだが、そのような実情は把握していなかったようである。

「点取虫」で「ギスギス」している

しかし、中屋は東大の女性学生を高く評価しつつも、男性と同等であるとまではみなしていなかった。女性学生は「男と比べると一般的に教授のいったことや読んだ本に書いてあったことは、よく覚えて知っているが、自分の知らないことを調べたり、自分自身の考えを出すというような点では、どうしても劣っているように見受けられる」というのがその評価であった。

「だから、例えば、試験問題にしても、きまりきった原論的なものであれば良い成績をとるが、応用的なものとなると必ずしもうまくゆかないのが普通である」。同じように「大体、女子学生というのは、教養課目のような一般論を学んでいるときには、あまり頭を用いることもないので、成績はかえって男子よりも優秀だが、3、4年生になって、そろそろ専門の分野に入って来ると、男との差はひどくなり、卒業のときには大てい下位である」とも指摘していた。

教養学部の教員が教養科目のことを「あまり頭を用いることもない」というのもあんまりであるが、女性は言われたことはちゃんとやるが、自分で考えることは得意ではないと信じていた。

中屋は他の女子大の学生と区別をしながらも、東大の女性学生を他の男性学生と平等に見ていたわけではなかった。「東大の女子学生は一般に点取虫で成績をひどく気にするし、男に負けないようにということをいつも意識している。その結果、女性としてはギスギスした感じのドライな面がどうしても強く現われて来ることが多い」と批判している。

女性は「あまり頭を用いない」とみなされる一方で、一生懸命に努力して、良い成績を取ると「点取虫」で「ギスギス」しているとされてしまうわけだから、中屋の基準からすれば、何をしても東大の女性学生は男性と同等の評価を得ることはできなかったのである。

結局、中屋にとっては男性の方が優れているのは明らかだった。「1から10まで口で言わなければ判らないというような点は、女性共通のこととみえて」、その点は他の大学の学生でも「東大生でもほとんど同じである」と断じていた。

日本を代表するアメリカ史研究者で、とりわけアメリカの民主主義と西部開拓史の関係などに詳しかった中屋は、戦後、東大教養学部アメリカ科の教員となり、米軍を中心とした占領下で始まった戦後の民主化教育の変容をまさに肌で感じる立場にあった。

自分が東大文学部の学生だった時代と比べて「最近の学生諸君」は「いろいろな点ではるかに恵まれている」と感じていた彼は、その大きな理由は「学園生活に堅苦しさや形式的なことが次第に取りさられつつあるから」だとしていた。「殊に、戦前と比較にならないことは、女子学生がのびのびとして来たこと」であった。

その「のびのび」とした女性学生を見ていた中屋は「女子学生でも男子学生と同じように学問研究の意欲を持ち、同じような訓練を受ければ、大した実力の差はないようである」と述べることもあったが、それは女性がこれまで男性が作り上げてきた領域と基準のもとで活躍するという前提に基づいていた。

「これからの新しい女性は、すべからく普通の大学に進んで、男性と同じ教育を受け、同じ程度の──決して同じ種類の、ではない──人間としての能力を持つべきである」と中屋は主張したが、「普通の大学」や「男性と同じ教育」そのものに、圧倒的に男性偏向の価値観が内在しているという意識はなかった。

東大の女性学生が「言われたことはちゃんとやるが、自分で考えることは得意ではない」という中屋の考えは、圧倒的に男性優位なキャンパスで学ぶ女性が自由な発想をしたり、主張したりする際の困難を理解しないものであった。男性が評価する社会においては、女性として「自分で考え」て主張することがどれほど難しいかを想像することもなかった。

逆に彼は女性の潜在的な才能を認めながらも、彼女たちは「『夫唱婦随』の旧態依然たるものを持って」いて、その「書く論文なるものは、おおむね、論ではなくて、単なる作文にすぎないのである。若いから記憶力はすぐれている。しかし、記憶力にだけ頼っていると、自分でものごとを判断する力は養われない」というたぐいの意見を東大の教員として新聞や雑誌上で繰り返していた。


引用
*15 大下英治、前掲、26頁
*16 土持ゲーリー法一『米国教育使節団の研究』玉川大学出版部、1991年、141頁
*17 大下英治、前掲、30・46頁
*18 中屋健一『大学と大学生入学から就職まで』ダヴィッド社、1958年、65〜85・115〜147・253〜254頁/中屋健一「女子大学無用論」『新潮』1957年3月号、90〜94頁/中屋健一「前世紀の遺物女子大学」『婦人公論』1959年3月号、88〜91頁


写真/shutterstock


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