1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

元駐台湾代表が語る“台湾にできて日本にはできない”迅速かつ的確な地震対応の背景とは「ひとことで言うと政府が持つ透明性の差です」

集英社オンライン / 2024年4月28日 16時0分

4月23日未明、台湾東部を再び震度5以上の地震が襲った。台湾では4月9日の地震の際にも避難所の充実や、スピード設営が話題になったが、なぜ行政はこうした対応が可能になるのか。元駐台湾代表の泉裕泰氏に話を聞いた。

かつては「原発大国」だった台湾だが、日本の東日本大震災を機に「原発ゼロ」に舵を切った

「避難したところにすでにテントが張ってあった」

今年の元日に能登半島沖で最大震度7を記録する地震が起きた。これに続き、台湾東部では4月3日に最大震度6強の大きな地震が発生したのに続き、23日にも再び震度5以上の地震があった。東アジアの2つの国を襲った災害による被害はどちらも甚大で、多くの市民が避難生活を余儀なくされた。

しかし、発生直後から、日本と台湾の政府対応の大きな違いが浮き彫りになり、さまざまなメディアによって取り上げられた。

特に注目されたのは、避難所での生活だ。なぜ、日本の被災者は体育館に敷かれた段ボールの上で、プライベートむき出しの生活を強いられているのかと。1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災等々、幾度も大きな震災を経験していながら、果たして学びはあったのかという批判がかまびすしい。

一方、台湾のそれは個々にプライバシーが保護されるテントが設置され、無料Wi-Fi、エアコン、温水シャワー、果てはマッサージや育児のスペースまで確保されている。何より日本のメディアを驚愕させたのが、避難所開設までのスピードである。震災発生後4時間で完成していたことに大きな注目が集まった。

台湾のこの危機管理の秀抜さはどこから来るのか。2019年から日本台湾交流協会台北事務所の事務所長を4年間務めた泉裕泰氏に話を聞いた。耳慣れない役職名であるが、日本と台湾は公式には国交がないためで、実質的には「駐台湾日本大使」である。

「4月3日の台湾東部沖地震は緊急速報で知りました。自分が赴任していたところですから、テレビの映像を観て被害の深刻さに驚くと同時に、悼む気持ちがまずありました。それからさまざまな情報が入ってきましたが、被災者を受け入れていった行政の対応の速さは私の予想以上でした」

泉氏はお役所言葉では語らない。

「被災地である花蓮県が不動産業者と協力して家を失った人たちへの住居の確保と提供をし、補助金を受け取るための窓口の設置を早々と決めました。迅速さの例えからか、『避難したところにすでにテントが張ってあった』とさえ言われました。

もちろん、台湾でも問題はありました。被災した建物が専門家の調査によって倒壊危機にあると判断されたら、所有者への通知なく強制的に撤去されるという法律があって、室内にある貴重品を持ち出せなかったという人もいたわけです。その反発は当然ありました」

台湾政府が持つ「透明性」とは?

ただそれも二次災害の予防において一刻を争う中、財産より人命を優先させるというスピードを重視した危機管理意識の表れと言えようか。なぜ、これほどに対応が速く的確であるのか。元大使は、「ひとことで表すと台湾政府が持つ透明性です」と断言した。

透明性とはどういうことなのか。

「危機管理をする上で透明性があることが、社会の効率性に繋がるんです。これは台湾が国民党の一党独裁であった時代から、長年にわたって市民が勝ち取ってきた民主化の成果です。

それによって政府に透明性がもたらされた。台湾民主化のプロセスで、政府が何か隠しごとをするとめちゃくちゃに叩かれるんですよ。それによって国民党と民進党の二大政党制の中で、『隠すことは損だ』という意識が熟成されたわけです」

透明性によって社会的危機を乗り切る。その台湾の姿勢は地震以前、世界中で猛威を振るった新型コロナウイルス(Covid-19)の感染対策においても見ることができたという。

台北に設置された中央感染症指揮センターの陳時中・衛生福利部長は、ピーク時の130日間、連日連夜会見を開き、常に情報を開示してきた。

2020年4月に3日連続で新規感染者ゼロを記録し、「台湾はコロナに勝った」と世界に言わしめた日の会見では、「この結果の勝因は、決して我々行政の指導にあったのではなく、現場で献身的に従事された医療関係者、そして感染拡大抑止のために協力してくれたすべての市民の皆さんの中にある」として謝辞を出している。
当時、台北にいた泉氏は、この中央感染症指揮センターの記者会見を、主要テレビ局が毎日すべての質問が終わるまで中継し続けていたことに大きな感銘を受けたという。

会見はネットでもすべて配信されており、テレビ局が視聴率を重視するならば、退屈とも言える連日の質疑応答に視聴者に飽きられてチャンネルを変えられることを恐れるものだが、コロナ禍が小康状態になってもそれは続いた。

「情報を常に開示し、記者からの質問にもすべて答えようとする政府と、それをまた商業主義に堕落せずに放送し続けた放送局との間に信頼関係を感じました」

台湾と対比される日本の震災対応

台湾がコロナに勝った理由を泉氏は2020年に次のように総括している。

「台湾は徹底した民主主義社会における徹底した感染症対策が可能であることを、示してくれたと思っています。流血革命を経ずに、素手で戦って現在の民主体制を勝ち取ってきた台湾の人たちは、自らの権利をとても重視していると思います」

民主主義の根幹に情報の透明性があることは論をまたない。これと強烈に対比されるのが日本の震災被害だ。

「東日本大震災のとき、私は中国の上海にいて総領事の任にありました。そのときに中国の関係者たちから『日本の原発は地震にあっても大丈夫なのか?安全なのか?』と散々聞かれたのです。『大丈夫です。日本は透明性が高い。日本政府が大丈夫だと言っているんだから大丈夫だ』と、答え続けていましたが、見事に裏切られましたね」

当時、津波によって電源喪失に陥った福島第一原発は核燃料棒が溶け落ち、水素爆発が起こった。地震発生直後から、メルトダウン(炉心溶融)という深刻な事態が進んでいたにもかかわらず、報告書ではそのことは一切触れられていなかった。

また原子力事故が起こった際には、それをもとに避難経路を決めるとされていたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)のデータも公開されなかった。SPEEDIは放射性物質が大気中をどのように広がるか、地理データと気象データを使って予想するシステムであり、政府が肝いりで設置したものであったが、これが公開されていれば住民は無用の被ばくを避けられたのではないかと言われている。

そもそも経産省原子力安全・保安院は原子力災害対策本部が議論を重ねて方針を決めた当時の議事録を「残していない」と答弁している。何を隠ぺいしたかったのか。不透明極まるものであった。

思えば福島第一原発においては、この地震の以前から度重なる隠ぺいが行われてきた。1984年に緊急停止していたことが隠され、1998年には制御棒トラブルが起きていた。

中国が「台湾は侮れない先進国だ」

かつて台湾は国民党独裁時代、原発への電力の依存度がフランスに次いで高く、世界第2位の原発大国と呼ばれていた。それが、東日本大震災の事故を受け、原発ゼロに舵を切ったのだ。

泉氏は外交官らしく、今回の台湾の震災対応を見てこんな外交効果を指摘した。

「台湾の地震対応を見て中国が恐れたんですよ。人命を第一にして、決して隠し事をせずにスピード感をもってことにあたった。北京のネットピープルはこれを見て『台湾は侮れない先進国だ』と恐れていました。

台湾に暮らす人に対する調査によると、自らのアイデンテンティーについて、自分は台湾人であると答えたのが6割、台湾人でも中国人でもある、が2割、あとが中国人もしくは無回答でした。この『台湾のアイデンティティーとは何か』というのは、政権にとって今後の課題でしょうね。1月13日の総統選が終わっていきなり震災に見舞われて大変ですが、台湾の人たちは成し遂げると思います」

1987年まで38年間、戒厳令下であった台湾はそれまで国民党外の人々の表現や結社の自由を奪い、反体制派の人々を投獄し、処刑を繰り返して来た。「正統中国は、大陸(中華人民共和国)ではなく蒋介石総統率いる我ら中華民国である」という歴史教育が続けられ、中国大陸侵攻が国是であり、台湾独立派は最も重い政治犯とされていた。

だが戒厳令解除後、無血での民主化に成功し現在に至る。それがなければ、半導体産業の始祖モリス・チャンも天才デジタル大臣オードリー・タンも生まれなかったであろう。民主化あればこそ、透明性あればこそ、国の繁栄はなされる。ここから、学ぶべきものは少なくない。

文/木村元彦

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください