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爆音と人が死んでいく恐怖の中での生活しか知らない子どもたちに、ダンスを教えるウクライナ人女性「言葉では表現できない。だから踊る」という理由

集英社オンライン / 2024年5月11日 11時0分

「ウクライナ人を助けたい」のか「死ぬかもしれない」状況下での自分試しか…45歳日本人義勇兵がウクライナ戦地に赴いた真意を探る〉から続く

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2年が過ぎた。中東情勢の悪化などもあり、ウクライナの国際情勢を伝える日本国内での報道は少なくなってきているが、依然として緊迫した状況が続いているという。4月にウクライナ国内の戦場最前線を取材した戦場カメラマンの横田徹氏が近況をレポートする。

【画像】ウクライナの瓦礫の街で踊る女性

戦時下のウクライナの夫婦

ウクライナ取材は今回で5回目を迎え、昨年7月にウクライナ東部の前線を訪れてから8か月を過ぎた。昨年5月に激戦の末にバフムトは陥落し、今年2月にはウクライナ軍がウクライナ東部・ドネツク州の工業都市、アウディーイウカから撤退した。



ロシア軍は要所のチャシブヤール奪還を目標に猛攻撃を仕掛けている。アメリカや同盟国からの武器供与の停止で戦況は悪化し、兵士の消耗にも拍車をかけている。ロシア軍のウクライナ侵攻から3年目、アウディーイウカで戦っていたというウクライナ軍の兵士によると「密集していたロシア軍部隊を叩くチャンスはあったにもかかわらず、肝心の砲弾がないために好機を何度も逃した」と話していた。このまま武器の支援を受けられなければロシア軍のさらなる進軍を止めることはできないという。

一進一退の攻防が続く前線から後方基地のあるウクライナ東部、ドネツク州のクラマトルスクで私は24歳のダンサーのヴィカと出会った。彼女はウクライナ東部の前線で兵士として部隊の記録映像を撮っている夫のオレクセイに会うために、キーウからクラマトルスクまで来ているのだという。芸術に携わる両親のもとに生まれたヴィカはキーウの芸術大学を卒業してダンサーの道に進んだ。

2022年2月24日のロシアの侵攻後はダンサーとしての仕事はなくなり、かつて踊っていた劇場は戦火から逃れる避難民の避難所になった。ヴィカは人道支援のボランティアとしてキーウ−イルピン間の物資輸送の活動をしていた。オレクセイはかつて映画関連の仕事をしていて、もともとヴィカとは友人関係だったという。ヴィカは偶然にも開戦直後にイルピンに派遣されていたオレクセイと再会する。ふたりは恋に落ち、すぐに結婚を決めたという。戦時中のウクライナではこのような夫婦は珍しくない。

「キーウで生きている子どもたちに希望を持たせたい」

ヴィカは現在、キーウでダンサーとして活動する傍ら、ダンスの振り付けを教えるコレオグラファーとして活動中だ。彼女は0歳から4歳の子どもを対象にしたワークショップに1年前から参加している。このワークショップはリトアニアを中心に日本を含む各国の支援によって運営されている。ここでは演者である子どもと観客の親が交流をしながら戦争の中で子どもたちをどう教育するかということを目的にしている。

「ワークショップでは私たちが設定した世界観の中で、子どもが自分自身を表現することに没頭する機会を与えたいと思っています。私たちが踊ると子どもたちがそれをマネして私たちの動きについてくるんです。こうした子どもたちの反応に親はとても驚きます。子どもが新しい動きをしたら、私たちがそれを繰り返し新しい動きをします。こうした遊びによって子どもが何を好きかを知るキッカケになっています」

ヴィカはこのワークショップに参加して子どもたちと接する機会が増えたことで、子どもたちが大人と同じように戦争について理解しているということに驚いたという。

「2014年に起きたウクライナ紛争以降に生まれた子どもたちはずっと戦争の禍中に生きています。私たちは戦争以前と戦時中とを比べることができるけど、子どもたちは生まれてからずっと爆音、殺し合い、人が死んでいく恐怖の中での生活しか知らないのです」

ワークショップをともに行なう39歳のオクサナはヴィカと共に子どもたちへのダンス指導を行なっている。彼女自身にも子どもがいて、「今の状況下で子どもとどう関わればいいのか?」「どうすれば子どもたちと双方的な関係を作れるのか?」ということに興味があったという。

「ワークショップを通して、私たちが団結することで子どもたちには“キーウで生きている”ということを感じてほしいと思っています。今も多くの人がキーウで生活していますが、必ず自分たちには未来があると信じて、その喜びを感じてほしいです。大事なことは子どもたちに希望を持たせて、いい未来を与えてあげることです」(オクサナ)

「言葉では表現できない。だから踊る」

ロシア軍の猛攻を受けて苦戦する前線で任務に就く夫の身の安全を「心配しない日はない」というヴィカ。キーウでさえも空襲警報が鳴り響く日々に精神的にも大きな影響があるという。彼女には海外の芸術学校や劇団からの誘いがあり、ウクライナを去るという選択肢もあった。

「海外を舞台に活動するのは長年の夢でした。キーウでの生活でさえ恐怖を感じることもありますが、私にとってはウクライナを離れることのほうが恐ろしいです。キーウから電車に乗れば6時間で夫に会いに行けますし、少しでも夫の身近にいられるほうが私は落ち着いていられます。だから、私は夫と共にウクライナで生きることを選択しました」

ヴィカがダンスを披露してくれるということでクラマトルスクから70kmほど北に位置するイジュームへと向かった。イジュームは2022年9月にウクライナ軍の大規模反転攻勢よって奪還された街の一つだ。

“第二のブチャ”と呼ばれるイジュームではロシア軍による大量虐殺が行なわれ、私自身、奪還直後に取材で訪れた際に多くの遺体が埋葬された集団墓地を目撃した。現在は住民が戻りつつあるが、街のあちこちで破壊された建物を見ることができる。ヴィカが向かったのもそんな戦争の傷跡の1つだった。

そのアパートは2022年3月9日にロシア軍のミサイル攻撃によって地下に避難していた44人の住民が死亡するという悲劇に見舞われた。半壊した建物の周囲には亡くなった住民の遺影と花が飾られている。崩れた壁には大きな一輪のひまわりが描かれている。

戦争前と比べて彼女のダンスのスタイルは変わったのか?

「ロシアの侵攻後、表現の方向性は変わりました。戦争前は自分自身の“情熱”だけで踊っていたけど、戦争が始まってからは他者の思いも背負って踊るようになりました。私が生きている今日を生きられなかった人たちがいる中で、どうして私は踊るのか? 多くの人たちの怒りや悲しみとともに私は戦争前よりもたくさんの言葉を持つようになりましたが、これまで以上に言葉では表現することのできない思いをダンスで表現するようになりました」 

ヴィカの全身を使ったダンスは見ている人の感情を揺さぶる力があった。

戦争の虚しさ、亡くなった人々の無念が表現されていた。過去に私がここで見た虐殺された住民の姿を思い出した。

戦場にいる男にとっての精神的な救い

1週間というつかの間の幸せな時間をオレクセイと過ごしたヴィカがキーウへ戻る日がやってきた。13時30分発、クラマトルスク発キーウ行きの列車のホームには出発ギリギリまで別れを惜しむ夫婦や恋人たちの姿があった。電車のドアから身を乗り出してオレクセイを抱きしめて何度もキスをするヴィカ。

「彼女の存在は天からのものだと思う。戦場にいる男にとって愛する人がいるということは精神的に救いになる。俺は彼女が帰ってしまったとは思わない。いつも自分の後ろにいるって思っている」

ドアが閉まり列車はゆっくりと動き出す。ドアのガラス越しに見えるヴィカが遠ざかっていく。オレクセイは列車が見えなくなった後もしばらくその場に立ちつくしていた。

私はそれを見とどけた。戦場で生き延びて愛する妻に再び会えることを願って。

取材・文・撮影/横田徹

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