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2001夏甲子園優勝投手、4度の手術と波乱万丈の野球人生。「失敗への対策の引き出しを持つことが重要」

日刊SPA! / 2024年6月6日 15時51分

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2001年夏の甲子園で全国制覇した近藤一樹さん。現在は子供たちに野球を教える野球指導者や野球解説者として活躍している

 2001年夏の甲子園優勝投手で、大阪近鉄バファローズに入団。その後、オリックス、ヤクルトと移籍し、2018年シーズンには74試合に登板し最優秀中継ぎのタイトルを獲得した近藤一樹さん。高校時代は日大三高で夏の甲子園全国制覇を成し遂げたエースだったが、2022年、39歳で現役を引退されるまでプロ野球時代はケガに悩まされることが多く、成績だけを見ると大器晩成型とも言える選手だった。
 プロとして第一線で活躍されている人でも、うまくいかない時はあるもの。大きな壁に直面したとき、いかにしてそれを突破してきたのか――。

「プロフェッショナルが過去にどのように壁を乗り越えたか」という話を聞けば、自分が壁に直面したときに突破するヒントとなるだろう。富裕層や地主、経営者を中心に、資産防衛・ビジネスコンサルティングを行い、様々な世界で活躍しているプロフェッショナル12人との対談をまとめた著書『プロたちのターニングポイント』を持つ松本隆宏さんが近藤さんの話を聞いた。

◆ヤクルトスワローズへの移籍とともに訪れた転機

松本隆宏(以下、松本):まずは近藤さんのプロ野球選手時代についてお話を聞かせてください。もともと近藤さんは日大三高の野球部で、2001年夏の甲子園ではエースとして全国制覇。2001年度のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから指名を受けて入団されました。

 2004年シーズン終了後、オリックス・バファローズへ移籍、2016年に東京ヤクルトスワローズへ移籍。それまでは先発ピッチャーという役割がメインでしたが、ヤクルトスワローズでは中継ぎピッチャーを任されるようになった。

 これが転機となり、2018年シーズンは年間143試合のうち、実に74試合に登板し、球団記録を更新する活躍で最優秀中継ぎのタイトルを獲得されました。2019年にも59試合に登板して、ヤクルトスワローズを支える活躍をされ、ファンを沸かせたのが特に印象に残っています。1年に74試合とはとんでもない数ですが、近藤さんはどのような気持ちで出場されていたのですか?

近藤一樹(以下、近藤):登板予定のない日も、ベンチでは「もしかしたら今日も出場することになるかもしれない」と考えて、常に気持ちをキープするようにしていました。自らの気持ちをコントロールする日々でもちろん疲れはありましたが、楽しさと悔しさ、どちらも感じられるポジションを任せてもらえてありがたかったです。

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