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徳川と激突「大坂夏の陣」豊臣軍の"壮絶な最期" 勝利のために最期まで戦った豊臣家の家臣たち

東洋経済オンライン / 2023年12月9日 7時30分

河内方面での大坂方の敗戦は、誉田にいる大坂方の諸隊にも伝わった。若江・八尾が徳川方の手に落ちたならば、この地にいれば、いずれは孤立し、徳川勢に包囲されてしまうだろう。退却するのが最善だが、退却時には敵に追撃されて、損害が増すことも多い。注意を払いつつ、退却しなければならない。

大坂方は毛利勝永の鉄砲隊を殿(しんがり)にして、午後4時頃から退却した。

徳川方では、この退却軍を追撃するべきだとの意見があったが、朝からの激戦での疲弊を訴える将(伊達政宗)もいて、結局追撃は見送られた。

大坂方は、道明寺の戦いで後藤又兵衛・薄田兼相を、若江の戦いでは木村重成を失った。

豊臣秀頼が自害し、戦は終結した

長宗我部盛親軍が藤堂部隊に打撃を与えることもあったが、全体的に見ると大きな戦果があったわけではなく、大坂方は大坂城に引き上げていく。

城が徳川の大軍に包囲されるのは時間の問題であった。その後、大坂城に殺到した徳川方。堀などを埋められた大坂方にそれを防ぐ術はなく、5月8日に豊臣秀頼は自害し、大坂夏の陣は終結した。

(主要参考文献一覧)
・曽根勇二『大坂の陣と豊臣秀頼』(吉川弘文館、2013)
・笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、2016)
・藤井讓治『徳川家康』(吉川弘文館、2020)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中央公論新社、2022)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

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