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2浪阪大「物理学者の夢破れた」彼が歩む意外な道 ジャニーズ問題等の企業リスク扱う准教授に

東洋経済オンライン / 2024年1月21日 12時10分

劣等生から、地元の国立大学に受かるか受からないかのところまでたどり着いた西山さん。ところが、試験当日に思わぬアクシデントが襲います。

「センター試験の日に熱を出してしまったんです。それで、実力を出し切れずに50~55%程度しか得点できませんでした。2次試験も挽回する気持ちが起きず、志望校を落として地方の国公立大学を前期と後期で受けたのですが、落ちてしまいました」

こうして不運で終えた現役時の受験でしたが、本人的には不運以外にも考えさせられることがあったようで「自ら進んで浪人を決断した」と当時を振り返ります。

「やりきった感じがしませんでした。失敗に終わったセンター試験の後に、担任の先生に『ここなら受かる』と示してもらった安全圏の学校に進むことで自分の将来が決まってしまうのかと思うと複雑で、きっと後悔すると思ったんです。成績が上がっていましたし、自分はもっと上のところへ行けると信じていたので、浪人することへのためらいはありませんでした」

こうして西山さんは、鳥取城北高校の『専攻科』(※大手予備校が近くにない鳥取県内で行われていた、普通科の高等学校が浪人生を受け入れて授業の面倒を見る仕組み)に通い、浪人生活をスタートさせます。勉強だけに1日を費やせるようになった彼は、最初から鬼気迫る勢いで受験勉強に打ち込みます。

「1日15時間くらい勉強しました。志望校がどこというよりは、狙えるだけ上を狙おうと思っていました。このころ、自分の興味と性質を考えて物理学者になろうという夢ができたので、そのためにも、できるだけ上の大学で勉強をしたいと考えていたんです」

「学問を突き詰めていくと見える世界を知りたかった」と語る西山さんは、この1年の追い込みで、偏差値を前年度の52~53から63~65と、大きく上昇させます。センター試験(現:共通テスト)も790/900点と点数を大きく上げ、第一志望に設定していた大阪大学工学部に出願しました。模試ではC判定も出ており、勝負できるかもしれないと思っての挑戦。

しかし現役時に続いて、またもや不運が襲い、本番の試験で実力を発揮できませんでした。

「阪大の試験前にトイレに行きたいと思ったんですが、混んでいたから並ぶのをやめたんです。我慢できるかなと思っていたんですが、試験中にすごく行きたくなってしまって……集中できずに落ちてしまいました」

後期で受けた広島大学、滑り止めで受けた明治大学と中央大学には合格した西山さん。しかし、それらを辞退してもう1年の挑戦を決意します。

ノーベル賞が取りたくて、京大を目指す

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