台湾・民進党勝利の陰で逝去した民主革命家の人生 台湾民主化に命を懸けて闘った施明徳さんの人生
東洋経済オンライン / 2024年1月22日 8時0分
その後もう一度部下が呼びに来たが、今度は「記者会見には出ない」と部下を追い出してしまった。
記者会見をすっぽかしてまで話を聞かせてもらって恐縮したものだが、施明徳さんはじっくりと話してくれた。この革命家には、話したいことがあふれているのだと感じた。笑顔をたたえながら、とてもフレンドリーな話しぶり。当初の約束通り1時間たっぷり話を聞かせてくれた。
ただ、時折見せる、にらみつけるような鋭い目つきにドキリとさせられることがあった。ああ、これが25年以上も牢獄にいた革命家の目なのだな、と思ったものだ。
このインタビューの内容は、私が当時発行していた雑誌『台湾通信』に掲載した。この記事を民進党が中国語に翻訳して印刷し、施明徳さんの主張を伝えるテキストとして使ってくれたと聞いた。彼の役に立てたことが、筆者としてとてもうれしかった。
インタビューは、1995年の立法委員(国会議員に相当)選挙や1996年の台湾初の総統直接選挙を控えた時期だった。そのため、李登輝総統が率いる国民党に対する批判や国民党と民進党の共通点と相違点、政局運営に関する理念と分析などが中心だった。
このとき、1人の革命家は、議会政治によって「連合政府」を目指す実務的な政治家に変わっていた。また、中国との関係について「あの土地はわれわれのものではない」という言葉が印象的だった。
そして、日本との関係についても意見を聞いた。「これはもう過去のことですから、われわれとしても蒸し返すつもりはありませんが、民進党が設立される前、日本政府は一方で中国の圧力の下、もう一方で国民党との協力において台湾の反体制運動を抑圧しました。これはすべて記録に残っていることです。しかし、これをわれわれはもう気にしないことにしています」と述べたことが印象に残っている。
理念を冷静に語ることができる政治家
この発言から、当時の日本政府が台湾の反国民党運動に対してどのような態度を示していたかを如実に物語っている。
このときの施明徳さんの見方は、その後の経緯から正しかったものもあれば、そうでないものもあった。理想に終わったものも少なくない。
しかし、過去と将来を見据えてきちんと理念を語ることができるこのような人物がいたことは、民主化の過程の真っただ中にあった当時の台湾社会の希望に満ちた時代的雰囲気を表していたのだと思う。今の台湾に、このような政治家はまず見当たらない。
2000年に民進党の陳水扁総統が当選した後のことだった。筆者はあるテレビ局で出演を待っている施明徳さんにばったり出会ったことがある。民進党を離れ、お供の人と2人だけでベンチにポツンと座っていた。
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