台湾・民進党勝利の陰で逝去した民主革命家の人生 台湾民主化に命を懸けて闘った施明徳さんの人生
東洋経済オンライン / 2024年1月22日 8時0分
2008年の総統選挙では、馬英九氏を擁した国民党が再び政権を獲得し民進党は下野した。施明徳さんたちの運動が陳水扁総統を退任にまで追いこめなかったが、この運動が民進党の権威を失墜させた。それが国民党への政権交代を後押しすることになった。
2016年の総統選挙で現在の蔡英文総統が誕生し、再び民進党が政権を獲得した。この選挙に施明徳さんは、無所属候補として署名を集める方式での出馬を目指した。しかし署名が規定数にまで達せず、出馬はできなかった。
ここで施明徳さんが主張したのは、やはり「連合政府」だった。和解こそが台湾を救う唯一の道だと考え、各党派が手を結ぶよう呼びかけた。
反中ではなく共存を主張した
そして中国との関係では、「大一中架構」なる構想を提示した。これは、中華民国と中華人民共和国の上に共同で1つの不完全な国際法人を組織し、双方が関心を持つ事務を共同でコンセンサスを築きながら処理する、という考え方だ。
施明徳さんはかつて、台湾を中国から切り離すために中国文化を代表する台北故宮博物院の文物を中国に返還しようと主張した。一方で、中国福建省のすぐ沖に位置し、かつて台湾と中国の間で激しい争奪戦が繰り広げられた金門・馬祖を非軍事化し、中台間の懸け橋にしようと主張した。
さらには、国民党から分裂した中国との「統一派政党」と言われた「新党」との連合を模索し「大和解」しようと呼びかけた。人々の意表を突く奇抜なアイディアを次々に打ち出して、賛否両論を引き起こした。
台湾独立を追求し続けた施明徳さんだが、決して反中国ではなかった。むしろ共存を求めていたのである。そのために、さまざまな手を考えた。これは、反中で硬直化した今の蔡英文政権とはまったく異なっている。
施明徳さんは理想家でありながら、あくまでもリアリストだった。それこそ実は、台湾の多くの人たちが持っている性格でもあったはずなのだ。
これまでの8年間、現在の蔡英文政権は「抗中保台」、すなわち「中国に対抗して台湾を守ろう」と呼びかけることで支持を集めようとしてきた。このため台湾の人々の間に反中感情が高まって中国との対立が深まり、中国からの圧力が強まっている。
最大の貿易相手である中国大陸を罵り続けることで、経済的な不利益をもたらした。台湾内部を振り返ると、景気は低迷しており、低賃金は長期化した。
一方で住宅価格は高騰を続け、若者は家を買えず自分の将来を見通せなくなっている。そして、複雑な社会構成から成る台湾社会で、社会グループ間の対立はさらに深まった。
「民主の勝利」は正しいか
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