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台湾・民進党勝利の陰で逝去した民主革命家の人生 台湾民主化に命を懸けて闘った施明徳さんの人生

東洋経済オンライン / 2024年1月22日 8時0分

1996年に実施された台湾初の総統直接選挙を指揮したが、国民党の李登輝総統に敗北し、施明徳さんは引責辞任した。1993~2002年にわたり、立法委員を3期務めている。

そして迎えた2000年の総統選挙で、民進党は陳水扁氏を候補に立て戦後初の政権交代を果たし、ついに民進党政権を誕生させる。これを見届けた施明徳さんは当選の当夜、「国民党政権を倒すという子どものころからの夢が実現した」として民進党を離党する。

その後、無所属として立法委員や高雄市長などの選挙に出馬するが、当選はできなかった。もはや過去の政治家と思われていた施明徳さんが、再び台湾政治の表舞台に立つのは2006年のことだ。

かつての同志・陳水扁総統の辞任を要求

当時、陳水扁政権は、2004年に再選されて2期目に入っていた。しかし腐敗が深刻化し、汚職が相次いで暴露され、それは陳水扁総統の家族にも及んだ。施明徳さんは陳水扁総統に対して公開質問状を送り、国家の最大の危機を招き人民の信頼を失ったとして、総統辞任を要求した。

この退任要求運動は多くの賛同者を集め、総統府前に陣取っての座り込みに発展し、それが2カ月余り続いた。この運動の参加者は誰もが赤い服を着たため、「赤シャツ軍団」と呼ばれた。

この年の10月10日、台湾では双十国慶節とされる祝日に、総統府周辺などでは陳水扁総統の退任を求めて150万人が集まった。台湾の民主化後の大衆運動としては最大規模のデモだった。ただ、これだけ大きな運動ながら、施明徳さんはこれを流血なく終わらせた。

一方で、自分が関わり、育ててきた民進党の総統を自ら引きずり降ろそうとした施明徳さんに、元の仲間たちから多くの批判が集まった。

運動を支持する人も多かったが、民進党支持者からは強い反発も受けた。施明徳さんはそれでも手を緩めることはなかった。このとき、施明徳さんはあるメディアとのインタビューで、こう語っている。

「2000年に平和的な政権交代が実現したとき、民進党が長年主張した不正・不公平の是正や社会正義の実現などの理想が実現されると期待した。しかし、陳水扁らは政権を取るや民進党の理想を放棄し、自分たちの利益獲得のみに狂奔している。金権政治も、国民党の李登輝時代よりも深刻になった」
「絶対的な権力は必ず腐敗を招く。初めて政権を手にした民進党は、政策決定や人事任命の制度を無視し、さらには踏みにじった。結果、陳水扁が重用するのは自分の身内や腹心、あるいは擦り寄ってくる者のみ、という事態が発生した。このような人物は権力の誘惑に抗う術がない」

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