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鶴見・南武・相模線の「消えた支線」知られざる歴史 砂利や貨物輸送、京浜の工業発展を支えた鉄路

東洋経済オンライン / 2024年2月16日 6時30分

鶴見線に2023年12月に投入された新型車両E131系(筆者撮影)

JR鶴見線、南武線、相模線の3路線の歴史を見ると、いずれも私鉄(地方鉄道)として創業し、草創期は貨物輸送に経営の力点を置き、その後、太平洋戦争中に戦時買収によって国有化されたという共通点がある。鶴見線の国有化は1943年、南武線、相模線は1944年であり、今から80年前のことだ。

【写真や古い地図を見る】鶴見・南武・相模線の知られざる「消えた支線」。どんな路線だった?

鶴見線、南武線、相模線にはもう1つ興味深い共通点がある。それは、貨物輸送上の必要性から、多数の支線がかつて存在したことである。今回は鶴見線、南武線、相模線の支線の廃線跡を歩きながら、一般的にはあまり知られていない各路線の歴史を掘り起こしてみたい。

設立100年の鶴見線

鶴見線の前身となった鶴見臨港鉄道は、今から100年前の1924年7月に設立された。初代社長の浅野総一郎は、浅野財閥(現・太平洋セメントの源流の1つである浅野セメントが中核)を率いた人物だ。大正から昭和のはじめにかけて、浅野は自ら見聞したヨーロッパの港湾施設を参考にして、川崎・鶴見の地先に約150万坪の埋め立て地(末広町・安善町・白石町・大川町・扇町など)を造成し、工場を誘致した。

この埋め立て工業地帯の物流を担う目的で建設されたのが鶴見臨港鉄道である。同鉄道は1926年に貨物専用線として開業し、1930年からは旅客営業にも進出した。

鶴見線には今も、海に面する海芝浦駅が有名な海芝浦支線(浅野―海芝浦間)、首都圏で最後まで旧型国電車両が走った大川支線(武蔵白石―大川間)があるが、かつてはほかにも石油支線、鶴見川口支線が存在した。

石油支線は1926年4月、安善町にあった日本石油、ライジングサン石油、スタンダード石油の製油所からの石油輸送を目的として開業。1930年から1938年の間は旅客輸送も行った。

同支線は1986年に廃止されたが、それ以降も安善駅の構内施設扱いで線路(JR貨物管理・約1km)が残り、現在も不定期ながら米軍の鶴見貯油施設から横田基地への航空燃料輸送に使用されている。

現地に足を運ぶと、支線の終点に設けられていた浜安善駅(開業時は石油駅。国有化時に浜安善に改称)跡地には、当時のコンクリート製の車止めが残っている。

また、浜安善駅跡のやや手前(北側)で分岐した引込線が米軍の貯油施設内へと延びており、フェンス越しにタキ(石油タンク車)が並んでいるのを見ることができる(米軍施設内は撮影禁止)。

知られざる「鶴見川口支線」

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