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「6浪が理由で就活惨敗」追い詰められた彼の顛末 どん底だった20代、32歳で長年の夢をかなえた

東洋経済オンライン / 2024年2月25日 7時0分

「勉強ができなかった思い出と、バスケ部の思い出しかない」と語る海洋さん。高校3年間で両膝を計3回怪我したものの、最後は主将でチームをまとめ、東京都ベスト16まで勝ち上がるなど、バスケに明け暮れる生活を送りました。

バスケに打ち込む中で、将来の夢が見つかる貴重な経験もあったそうです。

「部活を頑張りながら、アルバイトで稼いだお金で自動二輪の免許を取得しました。趣味が高じて高校2年生のとき、バスケ部の友達とバイクで北海道に行ったことがあったのですが、これが大きく自分の人生を決定づけるきっかけになりました。

青森から北海道に行くときにフェリーに乗ったのですが、乗船するときにタラップにいた船長さんが挨拶してくださったんです。そのときに、船長さんの着ている制服が格好よかったことと、船旅がとても楽しかったことが印象に残って、船乗りになりたいと思ったんです」

それから船乗りになるために情報を集め始めた海洋さん。航海士になるために大型船の海技免状取得の近道である海洋系大学を目指そうと思い、東京にある海洋系の大学を志望するようになりました。

しかし、部活に打ち込んでいたこともあり、勉強が後回しになってしまい、高校3年生のときの模試の成績は偏差値40、受けたセンター試験の結果も3割でした。

前期と後期で国公立大学を受験するものの、ほとんど何も解答できずに不合格だった彼は、駿台予備学校の国立理系コースに入って浪人を決断します。

海洋さんに、浪人を決断した理由について聞いてみると「海洋系大学に行きたかったから」とためらいなく答えてくれました。

高校時代の遅れを取り戻そうと、意欲を持って授業に臨んだ海洋さん。しかし、毎日しっかり授業に出たものの、ここでも授業についていけず「センター試験の前になったら成績が上がると思い込んでいた」ために、この年のセンター試験も4割台の得点率に終わってしまいました。

「プライドが高かった」ため、海洋系大学の前期後期と早慶の理工学部を受験したそうですが、全落ちして2浪が確定します。

「親からも2浪までは予備校代を出してやる、と言われていたのでそのまま駿台で頑張ろうと思いました」

飲酒運転のトラックに突っ込まれる

2浪目に必死に勉強を頑張った海洋さんは、なんとか代々木ゼミナールの模試で偏差値が50台後半を超えるようになります。この調子でいけば志望する大学に入れるかもしれないと思ったそうですが、年の瀬に大きなアクシデントが彼を襲いました。

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