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福永祐一、30歳を過ぎて「ゼロから学んだ」背景 執着のなさこそ、自分の最大の強みだった

東洋経済オンライン / 2024年3月6日 17時0分

こういう性格を前向きと言っていいのかどうかはわからないが、執着がないぶん、何につけても切り替えは早い。

たとえば、落馬でケガをしたときも、「どうして、こんなときにケガしてしまったんだ……」と思い悩む時間は圧倒的に少なく、主治医にすぐ「いつからハワイに行っていいですか?」と聞いてしまい、「めちゃくちゃ切り替えが早いですね」と苦笑いされたこともある。

ありがたくない出来事が起きたとして、そこから学ぶことはあっても、立ち止まってウジウジと後悔したりはしない。決断したことに対してもそう。一度決めたら進むしかないし、ダメだったらやめればいい。それだけのことだ。

「ゼロになる」という決断ができたのも、センスのなさを自分で理解していたことに加え、それまでのキャリアに執着がなかったからという理由が大きい。この執着のなさこそ、自分という人間の最大の強みだと思っている。

執着があると、言えないことがあったり、できないことがあったりしてストレスにもなるだろうが、自分にはそれがない。

この決断をした時点で30歳を過ぎていたし、すでに中堅といわれる立場だったが、もう一度学び直すことに対して、恥ずかしさも怖さもなかった。学び直したところでやっぱりダメだとなったら、またそのときに考えればいいと思った。

馬乗りの技術を学び直すきっかけを与えてくれたのは、藤原英昭調教師の弟である和男さん。

もともと北橋厩舎に所属していた調教助手で、自分が全32戦で手綱を取ったエイシンプレストン(クイーンエリザベスⅡ世カップ2連覇や香港マイルを含むGⅠ4勝)などを担当しており、デビューした頃から何かと自分の面倒を見てくれていたお兄ちゃんのような人だった。

北橋厩舎の解散後は、兄がボスを務める藤原英昭厩舎に移ったのだが、それ以降も何かと自分のことを気にかけてくれていた。

確か2007年の終わり頃だったと思うが、瀬戸口厩舎が解散し、日々の調教拠点を失った自分を心配してくれた和男さんが、「ウチの厩舎(藤原英昭厩舎)を手伝わないか?」と声をかけてくれた。

30代のGⅠジョッキーが「鐙上げ」から再スタート

藤原厩舎のスタッフといえば、競馬サークルでは有名な「馬術集団」。和男さんもインターハイで優勝経験があり、国体にも出場したライダーで、そんな和男さんをはじめ、馬術の国体選手が何人もいるような厩舎だった。

そんな厩舎の調教を手伝えることは、馬乗りの技術をイチから学びたい自分にとって、これ以上ない環境。和男さんからのありがたい誘いに二つ返事で飛びついた。

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