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NHK辞めた「30歳女性」収入激減も"手にしたもの" 「カンボジアの病院で契約社員に」転職の訳は?

東洋経済オンライン / 2024年3月7日 12時0分

国際的な仕事はもとより、今現在、カンボジアでほぼボランティアのような形で小児がんの子どもたちを救う仕事をしているのには、こういった原風景が背景にあるのも関係しているだろう。

「お金はたいして儲からなくても、父もすごく楽しそうに仕事をしていて。そういうところに本当に自分のやりたい仕事、やりがいみたいなものがあるんだろうなって、知らず知らずに学んでいたというか。振り返ってみて、そう思いますね」

「将来は国際的な仕事をしたい」という思いはあったものの、中学に行ってからも特別に英語が話せる環境にいるわけでもなく、他の学生と一緒に普通に授業で習う程度。

ただ、「英語を話せるようになりたい」という想いは強く、思いきった行動に出ることになる。

それは、いきなりニュージーランドの公立高校に進学することだった。

いきなりニュージーランドの公立高校に進学

「もう本当に大変でしたね。今思うと勢いで何も考えてなかったというか……。英語のレベルも英検3級程度だったと思います。高校では日本人が学年で自分一人しかいないという本当に地元の公立校でした」

いわゆる期間を決めた短期留学といったものでなく、完全な現地の高校への進学。

授業はもちろん、ホームステイ先でもすべて英語。

最初の1年間はコミュニケーションをとるだけでも精一杯だった。

だが、授業についていくために必死に勉強して、2年目の半ばには現地の学生と同じ国語の授業を受けられるまで、英語力は上達。

卒業する頃にはネイティブ並みの英語力をマスターしていた。

そんな藤田さんの転機となったのは、遠くニュージーランドの地で知った、東日本大震災のニュースだった。

東日本大震災で「報道の仕事」に興味を持った

「そのまま英語圏の大学進学も考えていたのですが、3.11の東日本大震災のニュースを見て、報道の仕事に興味を持ったんです。それがスタートですね。それで『報道の仕事をするには、法律を勉強しないといけない』と思って、北海道大学に進学しました」

北海道大学の法学部に帰国子女として試験を受け、見事合格。今度は3年間分の日本語の勉強に明け暮れた。

「大学に入ってからは、まずは漢字の勉強してました。先生の言っていることが(日本語なのに)逆にわからなくて恥ずかしかったですね」

それも当然だろう。3年間、英語しか話せない環境下で学んできた中で、突然、法律用語が飛び交う日本語でも難しい講義を受ける。日本で普通に過ごしていたって、やさしいものではないはずだ。

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