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NHK辞めた「30歳女性」収入激減も"手にしたもの" 「カンボジアの病院で契約社員に」転職の訳は?

東洋経済オンライン / 2024年3月7日 12時0分

思えばこの頃から、自分自身の「次のキャリア」を漠然とではあるが考えていた。

約5年間の福井勤務を経て、東京へ異動。社会部の警視庁担当となる。

これまでの地方局で様々な取材とはいっきに変わり、大きな事件や事故を扱う部署となった。

「生活安全部の担当でした。主に少年事件の取材ですね。いつ事件が起こるかわからないので、お風呂のときもスマートウォッチを外さずに連絡が来たらすぐに飛び出すという、そんな生活でした。それまでの人生では出会うことのない人たちと出会いましたね」

毎朝5時に新聞の朝刊をチェックし、事件があればたとえ夜中であろうが駆けつける。今までの生活スタイルとは言うなれば真逆の形となった。

だが、NHK記者のキャリアとしてみると、いわば出世へのストレートコースに乗ったとも考えられ、やりがいはあった。

「やりたい仕事」と「求められる仕事」が違う

「もちろん日々忙しくてもやりがいはあったのですが、なんというか『不条理な世界の中で生きている人たちの生活を知りたい』という想いがずっと一貫してあったんです。戦争ジャーナリストになりたいとかそういう崇高な形とは違う、自分とは違う世界のことを知りたいなと……」

実は福井から東京への異動を知らされたときに、すでに転職に関して考え始めたという。そんな迷いがずっとあるまま、東京へ来た。

「自分が『記者としてやりたい仕事』と『組織から求められる内容』が違うかなというのはあって、ずっと迷ってました」

そんな中、決断の日は突然、訪れた。

東京に来て2年目に、NHK独自のクリエイティブ休暇(5日間)と土日を合わせて9連休をもらい、海外旅行に出かけた。

行き先はイングランド。久しぶりの英語圏への旅行で、それまで自身が迷っていたことがいっきに吹っ切れた。

「帰国の飛行機の中で『帰ったら辞めよう』って決意しました。次のことは全然考えてなかったんですが(笑)」

事件に追われることがない休暇で「自分自身が本当に何をしたいのか」を考えさせられた。

本当に「楽しい」と思ってやっているのだろうか。ニュージーランドの高校を苦労して卒業した「あの頃の想い」を思い出した。

そして出た結論が「転職」だった。

藤田さんは帰国後、上司に退職を伝え、NHKを離れることになる。

「後悔はなかったですね。そのときは不安もありませんでした。ただ、今思うのは記者としての肩書がなくなってみて、『組織に属していることで、いかに自分がスムーズに仕事ができているか』を実感しました。記者もやりたいことでしたが、『次は本当に自分がやりたいことをやろう』って思ってました」

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