「倍速消費」並みになった合意形成のスピード感 政策が次々と「検討なく」決められている理由
東洋経済オンライン / 2024年3月14日 9時30分
平成の日本では、道路インフラなどの公共投資が「過剰」だとさんざん叩かれました。それがコロナ禍で「過剰自粛」「過剰医療」となり、能登半島地震で「過剰復興」「過剰支援」に至っている。次は恐らく「過剰領土」「過剰主権」でしょう。わが国の領土を他国が実効支配しても、「取り返すのはコスパが悪いから、黙って差し出すのが合理的だ。反対するヤツは自分で取り返しに行け」とか言い出す者が現れるに違いない。
裏を返せば、この発想は国家の縮小や消滅につながります。かつてマーガレット・サッチャーは、「社会などというものは存在しない。あるのは個々の男女と家族、そして政府だけだ」と言い切りましたが、社会のないところには国家もない。バラバラになった個人と、追い詰められて自滅的に振る舞う政府が残るのみ。
はたして自由民主主義は、この状況で存続しうるのか。存続しえないとすれば、どうすればいいのか。そういったことを皆さんと議論していきたいと思います。
中野:はい、ありがとうございました。では、施さんにまずは口火を切っていただけますでしょうか。
大衆にアプローチしなくなったアメリカのリベラル
施:わかりました。佐藤さんの話はそのとおりだと思います。また、問題意識にも大変共感を覚えました。私たちの共著の新刊本『新自由主義と脱成長をもうやめる』の中でも触れていますが、合意形成を放棄する現代の傾向は、何人かの政治学者はしばしば指摘しています。例えば、アメリカの左派系の政治学者マーク・リラは『リベラル再生宣言』という著書の中で、現在のアメリカ政治における話し合い放棄の現象について触れています。今の社会運動家たちは立法過程に期待を抱かなくなったというのですね。かつての社会運動家たちは、大衆に呼びかけ、彼らを説得し、多数派を取って社会変革を目指すのが一般的でした。しかし、現在のリベラルは、その道を断念し、もっぱら司法を通じて、つまり裁判闘争で社会を変えようとしています。これは、意見を異にする者に向き合わず、社会的合意を形成しようとしない態度の表れです。
リラはまた、現代のリベラル派のインテリは、労働者階級への呼びかけをやめ、大学街に逃げ込んでしまったとも指摘しています。彼らは象牙の塔に籠もり、自分たちの小さなサークル内で理想を語り、社会がそれに同意しない場合は一般大衆のほうが悪いと非難すると言っています。このようにアメリカの現在のリベラル派は一般大衆へのアプローチを放棄してしまったのです。
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