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1浪早稲田大「学歴厨を生業にした」彼の驚く半生 Xでじゅそうけんを運営、受験情報を発信する

東洋経済オンライン / 2024年3月17日 11時20分

英語は苦戦したものの、現地の授業では算数がとても簡単だったこともあり、学校の成績は悪くなかったそうです。

「学校に机がなくて、授業中に出て行く子もいる、自由な校風でした。国籍はブラジル人・ヨーロッパ人・韓国人など多様で、授業も当時日本では珍しかった、討論やグループ活動中心のアクティブラーニングでした。そうした環境を2年経験したことが、いまの『つねに常識を疑う』スタンスにつながっていると思います」

愛知を離れ、東京に出たいと思った

多感な幼少期を海外ですごした彼は、日本の小学校に帰ってきてから「みんな机に座って何も言わずに、当たり前のように授業を聞いていたこと」に驚いたそうです。

日本でも、小学校ではつねにクラスで1〜2位の成績をキープ。中学校に上がるタイミングで父親がトヨタ本社の近くに家を建てたため、引っ越しして、豊田市の公立中学校に進学します。進学後も、250人の中でトップ5には入れないものの、上位の成績をキープした伊藤さん。

地元では、「この環境から名古屋大学や名古屋工業大学に入り、名古屋の一流企業に行くのがエリートコース」だったそうです。

生活するうえで、何も困ることはない環境でしたが、当時から伊藤さんは「もっと広い世界を見たい」と考え、この街を出ようと思っていました。

大学で東京に出ることを決意した伊藤さんは、高校受験を決意します。ところが、内申点が足りず、三河地方トップの岡崎高等学校などの進学校の受験は断念せざるをえませんでした。その結果、彼は最終的に偏差値65ほどの私立高校に進学します。

高校に進学した伊藤さんは、自分が通っていた学校について「みんなと話が合い、居心地がよかった」と話します。

成績は文系・理系合わせて上位2割だったそうですが、理科が苦手だったので文系コースを選んだところ、上位1割の成績になったそうです。高校2年生の秋からは部活もせず、第一志望群を一橋大学、東京外国語大学、早慶の上位学部に設定して、日々熱心に勉強を続けていました。

「東大は科目数が増えるので、現役での進学は難しいかなと思いました。優先度的には東京に行くほうが上だったので、消去法で一橋にして、早慶にも入れればいいかなという感じでしたね」

高2、高3の模試では、一橋大は厳しく、東京外大や早慶であればギリギリ手が届くかもしれないという成績だったそうです。名古屋大など地方の旧帝大も狙える位置にはいましたが、東京に行きたかった伊藤さんは首都圏の大学に絞りました。

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