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いったい「異次元緩和」をする必要はあったのか? 「壮大な実験」の失敗ではっきりしたことは何か

東洋経済オンライン / 2024年3月23日 8時30分

これまた、植田総裁の成果、彼の静かな忍耐強さの勝利ではある。私たちが、植田新総裁に「すぐにでも正常化に進んでほしいのに、何モタモタしてやんでえ、さっさと正常化しちまえ!」と怒鳴っていたのに、まったく静かに時機を待った植田氏の殊勲である。

しかし、である。ということは、投機的トレーダーにおもちゃにされるという問題だけが正常化の障害だったのか?という政策議論上の問題がある。異次元緩和の副作用の1つは「出口戦略が難しくなる」というものだったのだが、その副作用は市場(の悪いやつらに)にもてあそばれるということだけだったのか?という問題である。

すなわち、異次元緩和は実体経済に対しては副作用すらなかったということだ。そして、副作用すらないということは、そもそも実体的な効果はそもそも存在しなかったということだ。

もちろん、日銀はETFの買い入れは実質的にもう止めていたし、YCCも植田日銀になってから2度の変更で関連はなかった。つまり、YCCの上限金利のメドである1%とは無関係に長期国債の金利が市場で決まっていた、ということがベースにはある。しかし、それにしても、それならば、やっぱりあってもなくても最初から同じだったのではないかという疑問が生じてくる。

そもそも異次元緩和をやる必要はあったのか

問題は2つである。第1に「中央銀行は金融市場との対話が重要だ」というが、それは本当なのか、という問題だ。金融政策を投資家の都合のいいように変更することを強いるような催促相場になったり、過去2年間のように政策変更を食い物にするようなトレーダーが多かったり、という状況においては、そもそも対話というものが成り立つのか。

中央銀行の金融市場への対峙の仕方に関する日本の金融関係者やメディアの常識は間違っていたのではないか。そのような「悪い」トレーダーや投資家に対しては、支配するあるいは相手にしないという考え方で臨まざるをえないのではないか。そして、植田日銀は、丁寧に静かに、しかし本質的には「相手にしない」というアプローチで、今回成功したのではないかということだ。

第2に「そもそも異次元緩和には、出口でもてあそばれるリスクを高めただけで、何のメリットもなかったのではないか」という根本的な疑問だ。

副作用は、国債市場の機能低下、政府財政への規律の低下、民間経済主体へも長期の低金利による規律低下および資源配分の効率性の低下という明らかな弊害がそもそもあるのに、それ以外にも出口リスクという大きな副作用があり、それにもかかわらず、実体経済には効果がゼロだったのはないか。つまり、そもそも異次元緩和をやる必要は最初からなかったのではないか、ということだ。

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