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「自民完勝」日本政治史初の年金が争点の選挙 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#2

東洋経済オンライン / 2024年4月16日 10時0分

国民年金は、岸政権の公約実現のため、突貫工事で成立させるしかなかった(写真:camcamsour/PIXTA)

1958年(昭和33年)5月22日、日本政治史で初めて年金が争点の選挙が行われた。この選挙で自民党が完勝。岸信介首相は国民年金の実施に前のめりとなった。岸政権の公約実現のため、国民年金は小さく産んで、後で大きく育てるしかなかった。そして、国民年金は、野党、研究者、メディアから攻めるに容易い制度としてスタートしてしまう。

ここでは、『週刊文春』の記者として年金問題を追い続けてきた和田泰明氏の著書『ルポ年金官僚』から一部を抜粋。年金官僚たちが、政治に翻弄されるキッカケとなった国民年金制度スタート前夜の攻防を紹介する。

(全3回の2回目)

拠出制か無拠出制か

国民年金準備委員会事務局の格子状の窓からは、完成間近の東京タワーが、にょきにょきと伸びていく様子を望めた。それは事務局内の活気を反映しているかのようだった。

【写真】古川貞二郎がコメントを赤字で詳細に書き込んだ原稿

今でこそ年金といえば、保険料を支払うのが当たり前だが、制度発足当初、侃々諤々の議論が行われた。

当時、保険料を納付した人が年金を受給する社会保険方式を「拠出制」、保険料を納付しなくても税を財源に年金を受給できる税方式を「無拠出制」と呼んだ。財政を考えれば拠出制が良いに決まっているが、全国民を対象にした年金を謳いながら、すでに高齢の人や、保険料を払う財力のない人は、無関係の制度となってしまうため、与党・自民党内でも無拠出制の声が多かった。

事務局内でもやはり、無拠出制が俎上に載っていた。「国民年金発足三五周年記念座談会」(『週刊年金実務』1996年11月25日号)などによれば、こんなやり取りがあった。

「これだけ急いで年金制度を実施するということだが、現実に国民が望んでいるのは無拠出です」(岡本和夫参事官)

「私も本格的な年金をつくりたい。ただどうにもならないのが、保険料を出すにも出せない人が相当数いるはずということ。それをどうするか……」(加藤信太郎参事官)

これに猛反発したのが、尾崎重毅事務局次長だった。

「いやしくも国民年金というものをつくる以上は、拠出制を原則にすべきではないか」

周囲は、尾崎が厚生年金保険課長という立場も兼ねていたため、拠出制のみにこだわるのだろうと感じていた。

「そんな考えは紙くずと一緒に捨ててしまえ」

だが尾崎が言いたいのは、国民の心理的なことだった。

「とにかく日本国民というものは、もらうものは喜んでもらうけれども、出すのはいやがる。例えば年金をもらうことになった場合、5000円じゃ少ないから1万円にしろ、1万円じゃ少ないから2万円にしろという。そういう圧力というのは必ず政治家にかけてくる。政治家はそれを大蔵省なり厚生省に言う。そうすると国家財政上大変なことになるんじゃないか。やはり、もらう以上は出すことも考えなければいかん。資本主義社会というのはそういうものなんだ」

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