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80年代、東大駒場に流れていた自由な風の正体 異色の教養シリーズ「欲望の資本主義」の原点

東洋経済オンライン / 2024年4月18日 10時30分

西部さんが最後の講義で、「さて皆さん、私はこの一年、経済原論なるものを講義してきたわけですが、これは砂上の楼閣でありまして……」という締めの言葉に、文一や文二の学生たちが「シー」とブーイングを始める場面もありました。それでも淡々と話し続ける西部さんの姿が記憶に残っていますが、時代を象徴するシーンでした。

「学習」を突き抜けた「学問」の世界に遊ぶ

『ヴェニスの商人の資本論』を著されたばかりの岩井克人さんの講義も心躍るものでした。岩井さんも「経済原論」を講じつつも、ご自身の見ている世界はスタンダードな理論の先、既存の枠組みを超えた御自身にしか見えない風景をイメージしながら話されているのではないかと感じていました。

今の時代では難しいかもしれませんがそういった方々の講義に潜って、講義の言葉のさらに背後にある思いなどを感じ取ろうとしていた、ある意味生意気な学生でした。岩井さんの時には講義後に質問までしまして、実はそのことが岩井さんの記憶に残っていてくださり、「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論」の取材で、およそ35年ぶりにカメラの前で再び質問させていただくご縁にもつながっています。

他には、科学史、科学哲学の村上陽一郎さんも印象深いです。「パラダイム転換」という言葉がちょっとした流行のキーワードになっていた時代で、文理を超えて、科学という客観性が命のように思われる学問のありようも「時代的文脈」によって相対化されることが議論されていた時代だった記憶があります。

面白いもので、単位などの義務感とは関係なく教室を覗くほうがリラックスして頭に入ってきて、まるで知のライブ会場にでもいるような思いで講義を楽しませていただいた感覚をよく覚えています。

当時の駒場キャンパスの空気は何か特別で、自由で開放的な風が流れていました。渋谷から程ない距離のところに突然開けた森の中の空間という感じで、そんな場所でいろいろと想像力の世界に遊ばせてもらった日々は、とても貴重な経験となっています。

20歳の頃に駒場を歩きながら、もしかしたら世間の大勢の価値観とは少しズレたところで、はぐれた気分を抱えながら生きていくことになるかもしれないけれども、その分自分にとってかけがえのない思考法とは何か、自分で考え判断できる拠り所となる“ものの見方・考え方”、価値軸のようなものを今のうちに身につけておかなければと、そんな切実感を持ちながら、日々キャンパスを歩いていたという記憶があります。

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