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「大学無償化」への批判が的を射ていない真実 お金だけでは得られない豊かさに目を向ける

東洋経済オンライン / 2024年5月8日 15時0分

子どもの教育費に頭を悩ませる家庭は多いものです。今こそ社会のあり方を問い直す必要があるのかもしれません(写真:ふじよ / PIXTA)

「金と運次第の自己責任社会を変えたい」。そう語るのは、財政学者の井手英策氏です。

井手氏は教育費や医療費、介護費、障害者福祉といった「ベーシックサービス」を、無料で誰もが受けられる社会の実現を提言しています。

本記事では大学教育無償化を手がかりに、誰もが安心して暮らせる社会作りについて考えます(井手氏の著書『ベーシックサービス:「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』から一部を抜粋、再編集しました)。

なぜ大学教育がベーシックサービスなのか。

【画像で見る】子どもが私立・理系の大学に行ったら教育費はいくらかかるか知っていますか?

以下に僕の考えを示しますが、これは答えなのではなく、ひとつの考え方だ、ということを忘れないでください。つまり、さまざまな考え方がぶつかりあい、議論すること自体にベーシックサービスの本質がある、ということです。

社会的に必要な大学教育の無償化

大学教育の無償化に関しては、大学をタダにしても勉強する気のない子どもたちをいたずらに進学させるだけではないか、大学がタダになっても、結局、お金持ちの子どもだけがいい学校に行くのではないか、という批判が出てきそうです。

ですが、これらの批判は的を射ていません。大学に行く/行かないは、各人の選択でかまいませんが、大学教育それ自体は、万人にひらかれるべき権利です。

なぜなら、大学教育は、人間の「精神の自律」の前提をなしているからです。

私たちには投票権があります。

ですが、投票の権利を与えられても、人々は自分で考え、判断し、選択できなければなりません。それができて初めて、私たちは社会の言いなりになるのではなく、自律して生きていくことができるはずです。

家庭の所得水準が進学できる大学のレベルを決めるという批判は、以上の視点を欠いています。

大学教育にとって大事なのは、「考える」「判断する」「選択する」ための知識や専門性を提供する場であるかどうかであって、偏差値が高いかどうか、ではありません。

大学教育は、政治への参加意欲、政治や権力に対する態度に影響を与えます。

OECDのデータによると、「政治に関心があると答えた成人の割合」は、高卒以下が42%、高卒が51%、大卒が65%となっています。

また、「政府のやることに発言したいことがあると感じる成人の割合」も、高卒以下が27%、高卒が33%、大卒が46%と、高学歴化によって賛成する人の割合が増えています。

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