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「気分を害したら申し訳ない」はなぜダメなのか? 謝るときの不快感を乗り越えて正しく謝る方法

東洋経済オンライン / 2024年5月19日 17時0分

妻のキャロリンと私は、19歳のときに何もない家で結婚生活を始めた。

だめだ。余計に脱線した。車輪がレールから外れかかり、計器盤で赤い警告ランプが点滅し、モーターから不吉な煙が出はじめる。

私たちは雑用をして稼いだ。食料配給券ももらった。私は貧困というものを知っている。一時期、私自身がそうだったから。

テッド、どうしたんだ? なぜきみの家計の歴史を物語っている?

謝罪をしているはずではなかったのか。

だから私は、この国の人々がどれほど欠点があっても立ち上がり、成功し、けっして法を犯そうとしないことを知っている。

……もはや、ついていけない。きみはここで何をしているのか? どの人々? 誰が法を犯そうとしたのか? 何の法だ? いったいきみは何の話をしているのか?

あなたがた一人ひとりに私は誓う。私は情熱と、心の中の国および我々が仕える人々の向上とともに国家に向き合いつつ、我々が問題に取り組んでいることを前提に、政策や政治的不一致が活発に議論されていることの理解の場所から行動することを。

まさに拷問のような文章だ。あたかも最初に「私は誓う」とタイプして、そのあとは「自動予測テキスト」ボタンをひたすら押しつづけたかのようだ。そしてついに、最後に、このちんぷんかんぷんのサンドイッチに無意味な爪楊枝を刺した。

私は自分の情熱に対しても、神を、家族を、そして我が国を愛していることに対しても謝ることはできない。

つまり、要約するとこうなる……。

私は謝罪するためにここにいる。しかし謝るつもりはない。

私がしたと思われていることは、実際にはなかった。

皆さんは誤解している。ある時期、私は貧しかった。

神とアメリカを愛していることも謝らない。

ヨーホー退場。

さんざんな謝罪だ。自分が誰に謝っているのかもほとんど理解しておらず、起こった出来事を否定し、どういうわけか食料配給券の話を持ち出した挙句、自身のひどい資質を謝罪することを独善的に拒否した。誰にも頼まれていないにもかかわらず。これは明らかに謝罪ではない。

それは謝罪ではなく自分のイメージづくりでしかない

ハリー・G・フランクファート(1929〜)はプリンストン大学名誉教授で、専門は道徳哲学だ。かつてはイェール大学でも教え、オックスフォード大学のオール・ソウルズ・カレッジの客員研究員を務め、グッゲンハイム財団およびメロン財団から助成金を受け、“ウンコ”について1冊の本を書いた。

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