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「気分を害したら申し訳ない」はなぜダメなのか? 謝るときの不快感を乗り越えて正しく謝る方法

東洋経済オンライン / 2024年5月19日 17時0分

具体的には、1986年に論文として発表し、2005年に(愛らしいほど小さな)本の形式で出版した『ウンコな議論』である。この本は一大現象を起こし、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに27週間にわたって掲載された。

おそらくその理由は、彼が冒頭に記しているように「我々の文化の最も顕著な特徴の1つは、いたるところにウンコがあること」だからだろう。フランクファートはウンコと嘘をつくことを区別している。

「嘘をつくのは、明確な焦点を伴う行為である。一連の信念もしくは信念体系の決まった所に特定の虚偽を挿入することが意図され、その目的は、その箇所が真実で占められる状態を避けることだ」

言い換えると、嘘つきは真実を知っていて、故意に正反対のことを言う。それに対して、ウンコな論者は「真実に対する関心に拘束されない」。何が真実かということには関心がなく、自分のイメージをつくり上げ、聞き手を感化したいだけだ。

フランクファートが例にあげているのは、独立記念日の演説を行い、建国者、星条旗、ママ、アップルパイを大げさに称賛する、傲慢で熱狂的なアメリカ人だ。この男がアメリカについて実際にどう考えているかは重要ではない、とフランクファートは言う。

心から愛しているかもしれないし、憎んでいるかもしれないし、無関心かもしれない。それはどうでもいい。肝心なのは……。

演説者はこれらの発言によって、自身に対する特定の印象を伝えることを意図している。アメリカの歴史に関して、誰かを欺こうとしているのではない。彼の関心は、人々が自分をどう思っているかということだけだ。

ウンコな論者の目的は、ただ1つ……、聞き手に自分をある種の人物だと思わせることだ。愛国者、道徳の化身、思いやりのある親切な人など、個人的利益を生み出すものならなんでもかまわない。

フランクファートによれば、「ウンコの本質は、それが誤りではなく、でっち上げだということだ」。

ヨーホーは悪い行為を目撃された。同じ仕事をしている女性に近づいて、悪態をついたのだ。自分と政治的姿勢を異にするという許しがたい罪を犯したとして。

目撃された際に、正しいのは謝罪することだった。ところが彼は罵り言葉を口にして、他人(悪態をついた女性ではなく政治家仲間)に対して自分のイメージづくりを試みたのだ(これはゲリラ的現象ではない。現代の共和党員によって芸術形式にまで高められたかもしれないが、政治家の雄弁な演説の歴史によって、両陣営からの山のような罵詈雑言が明らかになっている)。

「気分を害したら申し訳ない」は謝罪よりも非難に近い

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