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「気分を害したら申し訳ない」はなぜダメなのか? 謝るときの不快感を乗り越えて正しく謝る方法

東洋経済オンライン / 2024年5月19日 17時0分

これまでの人生で、数えきれないほどの過ちに対して謝ることができなかった人間として、声を大にして言いたい。齢40にして始めた道徳哲学への旅では、幾度も眠れぬ夜を過ごした。ほとんどは、自分が多くの人を傷つけたにもかかわらず、一度も謝ったことがないと気づいたからだ。

この地球に数年以上暮らしていれば、愛する人、まったく知らない人、そのあいだにいるすべての人を傷つける運命にある。ようやく最近になって、それが避けられないことだと理解した。あるいは、私たちがやむをえず誰かを傷つけてしまったときに、もう1つ、やるべきことがあるのに気づいた。文句を言わずに謝る。

できるだけ早いほうがよい。359年も待ってから謝ると、効果が薄れる。

人間は誰も完璧ではない

本稿の最後にもう1つだけ尋ねたいことがある。すぐに答えられる質問だ。謝ったら、相手にどう反応してほしいか? 恥をかくことを恐れつつ、勇気を出して恥ずかしさ、赤面、震える声を乗り越え、自分が悪いことをしたのを認めたら。

傷つけた相手が誰であれ、私たちが心から後悔し、昨日の自分より少しでもよくなりたいと思っていることに気づいてほしい。思いやり、共感、寛大さ、理解……、そうした感情を抱き、たとえまだ腹を立てていても、「わかった」と言ってほしい。

嘘をつくべきでないとわかっていながら、ついてしまったときにも。会社の休日パーティにゼブラ柄の中折れハットをかぶって来いと言って、さんざんな目にあわせてしまったときにも。私たちは許してほしいと願っている。

自分のしていることを意識するには、ひっきりなしに続く失敗を受け入れて耐えることが必要だ。誤解する。人を傷つける。ほんのささいなことかもしれない。ほとんど気づかれず、ほとんど意味もなく、宇宙の塵となって消えてしまいそうなほど。

あるいは逆に、はるかにひどいことかもしれない。自分のしたことのせいで生活が著しく脅かされた人々が、現実に、紛れもない苦痛を感じているかもしれないのだ。

徳に欠けた人が痛みや苦しみを引き起こしたら、(適切な方法、適切なタイミングで、適度に)声を上げるのは正当な行為だ。けれども相手の行為が許容範囲だったら、自分が失敗して、同じように寛大さや理解を求めようとすることを思い出してほしい。

それはきわめて複雑な哲学の質問だが、よく覚えておいてほしい。完璧を求めたり、他人に不可能な基準を押しつければ、誰も完璧ではないという単純で美しい現実を否定することになる。

マイケル・シュア:テレビプロデューサー・脚本家

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