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2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか

東洋経済オンライン / 2024年6月2日 7時0分

「親父に小学校1年生ごろから、繰り上がり・繰り下がりの足し算をやらされていたのですが、できなかったらそのたびに思いっきりぶたれました。筋肉隆々の30代の男性に、それをやられたらたまらないんです。何としても将来偉くなって仕返ししてやる!というモチベーションで勉強をしていました」

父親は2021年に亡くなったそうですが、それまでの人生でも、田中さんの頭の中にはずっと小さい頃の思い出が鮮烈に残り、見返す対象として、勉強を頑張っていたそうです。

いじめの対象になってしまった

その結果もあって、小学校のテストでは100点を連発。中学校に上がってもトップクラスを維持しました。しかし、身体が弱く、運動が苦手だった彼は、いじめの対象になってしまったそうです。

「田舎だから、勉強しかできない人間はいじめられるので、小・中学校時代はそれで嫌な思いをしました。生まれてくる場所と親は、残念ながら選べません」

中学生になった田中さんは、進学校である熊本高等学校に進学しようと考えていました。

「中学校時代から『ブラック・ジャック』みたいな医者になりたかったんです。自分のように身体が弱い人を助けたかったのと、作品内に出てくるブラック・ジャックの父親も、悪いやつだったので、自分の境遇と重ね合わせていました。その影響を受けて、熊本大学の医学部に行くために、熊本高校に行こうと思っていたんです」

中3のときに、またしても父親の転勤で、本渡市内の別の中学校に転校した田中さんは、ここで初めて1学年が35人×2学級という、複数クラスに分かれる経験をしました。

最高学年になった彼は、そのときに受けたある授業で知った事件から、大学の志望校を変える決断をします。

「公民で大阪空港公害訴訟のことを知りました。騒音の被害に耐えかねて訴えた人が大阪高裁では勝訴したのに、最高裁で夜間飛行の差し止め請求を却下。過去の損害賠償のみを認める判決を下したのです。その話を聞いて、私は『許せん!』と思いました。当時、私は権力を持つ悪いやつらが、弱い立場の者をいじめることに激しい怒りを感じていました。最高裁長官になって、正しい裁判を実現したいと思い、そのためには東大文一に入る必要があると思いました」

こうして勉強を頑張った彼は、なんとか熊本高校に入ることができました。

熊本高校に入った田中さんは、自宅から熊本市内までの通学で、片道2時間半ほどかかることから、下宿屋に住み、そこから学校に通うようになります。

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