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2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか

東洋経済オンライン / 2024年6月2日 7時0分

「高校から歩いて20分ほどのところにある下宿屋さんに住んでいたのですが、夏休み期間は閉めてしまうのです。下宿生は地元に帰省するしかないので、部活には出られず、勉強するしかありません。そのため、休み明けの「整理考査(確認テスト)」ではいい点が取れました。英数国3科目だけですが、高2のときには1位を2回取れました」

高得点を叩き出したが、周囲からの妬みも

当時、ついたあだ名は「整理考査の田中」でした。しかしそこには「部活に出ないから、高得点は当然」、「理科・社会は負けるくせに」という妬みの気持ちが込められていた、と田中さんは感じていたようです。事実、5科目の定期試験や模試では、450人中、30位台にまで低迷していました。

必死に勉強していた田中さんでしたが、この当時、地方の進学校から東大の文系を目指すのは、とても大変なことだったようです。

「東大の入試の科目は、英数国と、社会科2科目がありました。当時の熊本高校の社会科の授業は、1年生は全員現代社会、2年生のときに世界史・日本史・地理の3教科を週2時間ずつ、3年生で世界史・日本史・地理から1科目選ぶという内容でした。

学校も3年生のときに日本史の補習をしてくれていたのですが、日本史の先生が嫌いだったことに加えて、当時読んでいたエール出版社の『私の東大合格作戦』に開成出身者が『真剣にやるなら世界史と地理を選ぶべきだ』と書いていたのを、鵜呑みにしてしまいました。そのため、3年生の授業1科目では、地理を受講して、世界史を独学でやるという決断をしてしまったのです」

この決断が、彼の成績が伸び悩む原因を作ってしまいました。結局、現役時の共通1次試験は860/1000点と、ボーダーである9割を少し割るくらいの点数だったものの、2次試験で失敗し、東大の文科一類に落ちてしまいました。

「試験が終わった瞬間に落ちたと思いました。申し訳なかったのが、親戚のおばちゃんに激励されて、お金や差し入れをもらったり、母方の祖父が合格発表のときに『孫が東大に受かるかもしれん!』と上京してきたりして、田舎だから周囲が東大に受かるかもしれないということで大騒ぎしていたことですね。結果は本人がいちばんわかっていただけに、応援してくれたのに結果を出せなかったことを、申し訳なく思いました」

こうして現役の受験を失敗で終えた田中さん。彼は浪人した理由を「なんの取り柄もない自分が唯一できることだったから」と答えてくれました。

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