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1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場 タバコ・喧嘩・妊娠で退学が日常茶飯事だった

東洋経済オンライン / 2024年6月6日 7時50分

偏差値40程度の教育困難校を卒業した長瀬さん(仮名)。卒業した今振り返る当時の状況とは。※写真はイメージ(写真 : 青空 / PIXTA)

学力が低く、授業についていくことができない「教育困難」を抱える生徒たちを考える本連載。今回お話を伺った長瀬さん(仮名)は、偏差値40の教育困難校の卒業生です。教育困難校について「学力が低い」、「不良が多く、学校が荒れている」、「授業が成立しない」といったイメージを抱く人が多いかもしれませんが、実際に通っていた卒業生からは、どう映っていたのでしょうか。また、その経験を彼自身はどのように捉えているのでしょうか。自身も15年前に教育困難校を卒業した濱井正吾氏が、教育困難校の実情について伺いました。

教育困難校から慶応に合格

「学力が低い」「不良が多く荒れている」「授業が成立しない」。そうした学校は、しばしばネット上で「底辺校」、あるいは「教育困難校」と呼ばれています。

【写真】教育困難校から努力の末、長瀬さんは慶応に合格した。写真は入学式の様子。

今回お話を聞いた長瀬さん(仮名)も、生徒が「タバコ、喧嘩、妊娠で退学」するのが日常茶飯事だった、偏差値40の教育困難校を卒業した人物です。

長瀬さんは高校在学時に、自身が置かれた環境に対して失望し、大学受験をしようと決意します。しかし、授業の内容が物足りないことに加えて、周囲からも勉強をしていることをバカにされていたそうです。

それでも、慶応義塾大学に見事合格し、現在は教育関係の仕事に就いています。長瀬さんは、この環境で育ったことに「後悔はない」と言い切ります。

彼から見る教育困難校は、どのような環境だったのでしょうか。そして、彼が学校で得られた経験とはどのようなことだったのでしょうか。今回は、教育困難校の卒業生の1事例を見ていきます。

長瀬さんは、高卒の両親のもと、東京都で生まれ育ちました。祖母・姉・妹と一緒に住む、6人家族でしたが、親戚を含めて大卒者が1人もいなかったそうです。

「私が生まれ育った地域は、都内でも田んぼがあるような、のどかでのんびりした場所でした。『勉強をしなさい』という家庭ではないので、塾には通わないまま、公立中学校に上がりました」

小学の成績は「普通」だった長瀬さんですが、中学1年生の最初の定期試験で、初めて「勉強ができない」ことに気づいたそうです。

「中学のテストでは、しっかり対策しないと点数が取れなくなってしまいました。私は小学校時代の基礎がまったくできておらず、そもそも試験対策をする必要があることすら、自覚していませんでした。5段階評価はすべて2~3。授業態度は悪くなかったので、1は取りませんでしたが、ここで初めて自分は『学力的にほかの人より劣っている』ということを実感しました」

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