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「2浪3留京大」人力車に情熱注ぐ彼の豊かな生き方 数学が苦手なのに理系志望、彼が貫いた信念

東洋経済オンライン / 2024年6月23日 8時20分

人力車屋で働く竹林さん(写真:竹林さん提供)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は愛知県立旭丘高等学校から、2浪して京都大学工学部電気電子工学科に入学。現在、3留し、人力車でお金を稼いだり、自転車で47都道府県を旅をしたり、銭湯サークルを作るなどして大学生活を謳歌している6回生の竹林昂大さんにお話を伺いました。

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優等生だったが2浪を経験

今回お話を伺った竹林昂大さんは、愛知の名門県立進学校、旭丘高等学校の出身です。

【写真】人力車屋で働きながら、自転車で47都道府県を巡る竹林さん。

小さいころから優等生で、「クラスでいちばんを維持するために頑張るタイプ」だった彼ですが、京都大学に入るまでに2浪を経験しました。

この浪人の経験を彼は、「胸を張ってよかったとは言えない」と語ります。のちの3年の留年も、その経験が大きいそうです。その一方で、「結果的に浪人のおかげで人生が面白くなった」と晴れ晴れとした表情で語ってくれました。

果たして彼が2浪して人生が楽しくなった理由とは何なのでしょうか。彼の人生観を大きく変えた浪人生活を深掘っていきます。

竹林さんは愛知県名古屋市中区に生まれました。父親が専門学校卒業のグラフィックデザイナー、母親が三重大学卒業の専業主婦で、子どもの意思を尊重する家庭環境の中で育ったそうです。

「普段はお菓子やおもちゃを買ってくれない厳しい親ではあったのですが、やりたいことができたら、本気でやるつもりがあるのかを子どもに確認して、覚悟が感じ取れたらなんでも応援してくれました。たとえば、サッカーをしていた僕がトレーニングをしたいと言うと、それに役立ちそうな書籍やDVDをすべて買い与えてくれました」

「子どものためになることは何でもしてくれる親のもとで育った」と語る竹林さん。彼自身は周囲の友達とのトラブルが多い子どもだったそうですが、小3のときには優等生に180度変わったそうです。

友達に怪我をさせたことで、優等生に変わった

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