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「奨学金500万円」それでも母が大学進学させた結果 「うちは中流よりは下」と思ってた子どものその後

東洋経済オンライン / 2024年7月4日 11時30分

子どもながらに、自身の家を「中流より下」だと思っていたという男性。無理をして大学進学した結果、たどり着いた現在とは?(写真:mits/PIXTA)

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。

たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

子どもながらに「中流より下」と思ってた

「僕は今年で61歳。最初の東京五輪が行われる前年の生まれです。当時は高度経済成長期で『1億総中流』という言葉がはやっていました。ただ『うちは中流よりは下だな』と、子どもながらに思っていましたね」

【写真】日本学生支援機構と裁判、「奨学金1200万円」36歳彼の願い

そう語るのは赤井隆弘さん(仮名・61歳)。北陸出身。2歳ずつ歳が離れた妹が2人いる

現在は関西の国立大学で特任教授として働き、悠々自適に暮らしているが、幼少期はかなり苦労を経験したという。

「『練炭』もしくは『炭団(たどん)』をご存じでしょうか? 練炭は蓮の花のような形のもので、炭団は石炭をすり潰して成型して作る真っ黒い球体です。父親の実家でこれらを作っていましたが、お察しの通り、当時から使っている人はごくわずかで、斜陽産業となっていました。だから、『うちは中流よりは下だな』と思ったわけです。

あと、僕は小学5年生になるまで牛肉を食べたことがありませんでした。親からは『牛肉は赤身で脂がないから』と言われて育ったのですが、初めて食べたときは『いや、脂あるじゃん!』と思ってしまいましたね(笑)」

そして、生計を立てられなくなった赤井さんの父親は、隣県でアルミサッシの会社に入る。しかし、ここから赤井さんの父親だけではなく、家族全員が仕事に振り回されていく。

「セールスエンジニアとして新たな職場で働き始めた父ですが、サッシというのは注文が入ると本社からバラバラで運ばれて来ます。それを営業拠点で組み立てて現地に持って行き、設置するのがセールスエンジニアの仕事です。

父の入社当時は小さな町工場だったのが、次第にそこが手狭になったため、別の場所に移り、最終的に郊外の広めの土地に工場ができました。おかげで僕は小学校を6回も転校するハメになりました。今となっては笑い話ですが、『旅芸人の子どもですか?』と聞かれたこともあります」

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