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「国土防衛に強い執念」持つイスラエル、驚愕の歴史 根源にあるのは「自由への長い苦難の道」

東洋経済オンライン / 2024年7月10日 21時0分

エルサレムに向かう途上で出会ったユダヤ人集団を次々に殺戮したとき、その犯行を合法化するために叫んだことばは、デウス・ヴルトだった。

「神がそれを望みたもう」

大部分の国々が、ユダヤ人に不動産の所有を禁じた。中世の職人や商人の組合にはいるみちも、彼らにはひとしく閉ざされていた。法王の勅令の1つが、キリスト教徒に金融業を禁じ、ユダヤ人たちは不名誉な高利貸業に追いこまれた。法王庁はさらにキリスト教徒にたいして、ユダヤ人のために働くことを禁じ、彼らといっしょに生活することをさえ禁じた。

1215年に絶頂に達した人種差別

この人種差別は、1215年に絶頂に達する。このとし開かれたラトランの第4回公会議は、ユダヤ人を真の別種族とすることに決し、彼らに明瞭な徽章をつけることを強制した。イギリスではそれは、モーゼが十戒を受けた律法の板をあらわす徽章だった。フランスとドイツとでは、黄色い星をあらわす黄色の楕円で、のちに第三帝国がガス室に送る犠牲者を示すために、これを採用することになる。

イギリスのエドワード1世とフランスのフィリップ美貌王とは、彼らの王国に住むユダヤ人たちを毎日放逐し、この措置はその財産の大部分を横領することを可能にした。ユダヤ人たちは子供を祭壇で殺しているとまでいわれ、また恐しい黒死病を流行させたのも彼らであるとされた。

ユダヤ人たちは蜘蛛の巣を練りあわせたものと、蛙の太腿とトカゲとキリスト教徒の臓腑と聖餅とからつくった粉を井戸に投じて毒を蔓延させたことになっていたのである。この告発の結果、200以上のユダヤ人の集団が完全に掃滅された。

これらの残虐の諸世紀を通じて、ユダヤ人がほぼ正常な生活を送り得た唯一の国は、回教国王のスペインだった。ここではアラブ人の啓蒙的支配のもとに、ユダヤの民はその亡散の全期間を通じてかつてなかった繁栄を享受した。

しかしキリスト教徒による再征服が、この例外に終止符を打つ。1492年、クリストファー・コロンブスを新大陸の発見に送り出したその年に、フェルディナンドとイサベラとはスペインのユダヤ人を追放した。プロイセンでは、ユダヤ人たちは車に乗る権利と、安息日に火を点じるためにキリスト教徒の奉仕を受けることとを禁じられた。動物の場合と同様に、彼らが町にはいるときには入市税を課せられた。

イタリア半島でも、ユダヤ人への扱い方は人間的とはいえなかった。タルムードの所持は、ここでは犯罪を構成した。毎年ローマは気晴しのためにサーカスのむかしながらの残酷さを復活させ、肥らせたユダヤ人たちを半分裸で闘技場をガチョウのように走らせた。

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