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高円寺にだけ存在する「なんか自由な感じ」の正体 若者だけでなく中年にも居場所がある安心感

東洋経済オンライン / 2024年7月24日 15時0分

昔よりも今のほうが、ちゃんとお金を稼がなければならない、という空気が強いように思う。ゼロ年代の頃は不景気が続いているなどと言いながらも、まだ社会全体に余力があったのかもしれない。今は、格差社会化や高齢化が進んだせいか、役に立たないものを面白がる余裕がなくなってしまった。そんな時代の空気の中で、自分の存在が少しずつ時代遅れになってきているのを感じる。今まではなんとかごまかしながらやってこられたけど、この先はかなり怪しい。

高円寺では「時代遅れ」がいまだ現役

しかし、高円寺の街を見ていると、もう時代遅れのものが依然として現役で残り続けている、ということはよくあるな、とも思う。

再開発も少しずつ行われてはいるけれど、高円寺のほとんどはまだ狭い路地が入り組んだごちゃごちゃした街並みが残っていて、昭和の頃からあるような古い店がたくさん立ち並んでいる。こういう猥雑さこそが高円寺だと感じる。

そういえば、何か良いものが失われていこうとするとき、若い頃は「とんでもない、これはずっと残っていくべきだ」と思っていたけれど、40代になってからは「失われるのは時間の問題だけど、要は自分が死ぬまで逃げ切れるかどうかだな」という視点が出てきた。そして大体いつも、自分が死ぬまでならなんとかギリギリ逃げ切れるんじゃないか、と思っていることに気づく。

まあ、なくなったらなくなったで、そのときは寂しいけど、すぐに慣れて、忘れてしまって、最初からそうだったような気がするんだろう、大体のものは。

過去のこともすぐ忘れてしまって、未来のこともあまり実感が湧かない。今の気分だけをいつも重視してしまう。それは自分のいいところでもあり悪いところでもあると思う。

みんな「わけのわからない生活」をしていてほしかった

みんな人生をどうやって生きていってるのか、いつまで経ってもうまく想像できない。

SNSで、普通の人間ぽくない変なハンドルネームで(たとえば「暴れ大納言」みたいな)、生活感のない変なことをいつもつぶやいている人たちが、ときどき何かの拍子に普段は普通の社会人として働いているのを匂わせるようなことをつぶやいたとき、少し裏切られたような気持ちになる。

自分は「pha」という人間かどうかもよくわからない名前で、何をやっているのかよくわからない生活を続けているのだから、みんなももっとわけのわからない生活をしていてほしかった。自分以外のみんなはちゃんと人生というものを理解してしっかりと生きているのに、自分だけがいつまでも地に足の着かない生活をしている気がしてしまう。

でも、そういう生き方しかできないのだ。先のビジョンは全くないけど目の前のことをひとつずつかろうじてこなしていく、ただひたすらそれを繰り返していって、破綻が来る前に逃げ切りたい。もし破綻してしまったら、そのことを文章にしていろんな人に笑ってもらおうという心の準備だけはいつもしている。

pha:文筆家

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