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「何者かになりたい」8浪分悩んだ彼の"その後" 高校を中退しオーストラリアへと渡ったが…

東洋経済オンライン / 2024年8月11日 8時40分

地元から出ず、福岡市内にはほとんど行ったことがなかった今福さんは、寮生活を始めます。ここで、大きなカルチャーショックを経験しました。

「同じ福岡でも自分のなまりや方言が凄すぎて、自分の言ってることが相手に伝わらなくてショックでした。それに加えて、周囲はおしゃれなシティボーイなのに自分は田舎から出てきているので、くすぶってしまいました」

このころの今福さんは、将来の夢こそありませんでしたが、「何者かになりたい」という欲望を強く抱いていました。

「自分はすぐ人と比べてしまう人間でしたし、他人と比較して劣等感が強い子どもでした。『どうせ、自分みたいな人間にはできない』という思い込みが強かったのですが、怖くて人に本心を見せることもできませんでした。だから、何かで成功して、何者かになれれば、それが払拭できるんじゃないかと思ったのです」

この「何者かになりたい」という言葉は、今福さんの人生のテーマにもなります。

今福さんは高校にギリギリ入ったということもあり、同級生700人の中でも半分以下の成績で、勉強についていくのに苦労はしていたものの、持ち前のハングリー精神で世界史だけは1桁の順位をキープしました。

高校2年生の時点では、理数系に見切りをつけて受験科目を3教科に絞った今福さん。小学生時代から『マラソンマン』の影響で箱根駅伝を見ていて、作中で出てくる『W大』のモデルとなった早稲田大学を応援していたことから、漠然と早稲田に行きたいと思うようになります。

しかし、浪人生活最後の年まで早稲田を目指すことはありませんでした。なぜなら彼は、高校2年生の3学期にオーストラリアの南オーストラリア州にあるアデレードへの留学を決めて、高校を休学するからです。

「小学1年生のころに親戚のお兄ちゃんからアメリカに留学した話を聞いて、海外に行きたいと思っていました。中学時代に読んだ島田紳助さんの本の影響も大きいです。『人と違うことをやった対価がお金なんだ』といった内容で、ずっと心に残っていました。

ちょうどビル・ゲイツさんがフォーブスの世界長者番付1位になった時期だったので、彼はそれを実践したのかな、僕も人と違うことをやっていれば、いつか対価が返ってくるかな……と、僕自身もオーストラリアに行ったら何かが見つかるのではないかと思ったのです」

劣等感からオーストラリアに残ることを決意

こうしてオーストラリアに渡った今福さん。最初は1年で帰るつもりで、交換留学生として過ごしていました。

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