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一風堂や山頭火が頼る「製麺企業」の波乱なドラマ 稲盛和夫さんから教えてもらった大切なこと

東洋経済オンライン / 2024年8月24日 10時0分

博多発祥、一風堂のラーメン(サンフランシスコ店)(サンヌードル提供)

日本のソウルフードともいえるラーメン。山頭火、一風堂、一幸舎など、世界でも知られる有名店が、欧米各地への進出や店舗拡大で頼りにする会社がある。

【写真でみる】「一風堂」や「つじ田」など、人気のラーメン店で使われているサンヌードルの麺

ハワイ・ホノルルに本社を置く、製麺企業のサンヌードルだ。

43年前、栃木県から単身20歳でハワイに渡った夘木(うき)栄人さん(63)が創業し、現在ハワイ・北米の3工場で1日当たり30万食、約150種類の麺をアメリカ、ヨーロッパ・中南米向けに製造している。

2023年にオランダ・ロッテルダムに新設した工場では、1日2万食を製造、生産量・従業員共に来年以降の増産体制を見込む。

いまや外国人から大人気のラーメンだが、40年以上も前に、夘木さんはなぜ海外で挑戦しようと決意したのか。そして日本のラーメン市場をいかに開拓してきたのか。

ハワイで製麺工場を作った理由

夘木さんは1961年、栃木県宇都宮で製麺業を営む両親のもとで生まれ育った。父親が親族から借金と共に受け継いだ事業で、暮らしにあまりゆとりはなかったという。家族は休みもなく働き、自身も小学生の頃からよく工場を手伝っていた。

高校卒業後は家業を継ぐつもりで、勉強のため徳島県の製麺会社に就職した。1年半が経ったころ、知人を通じて父の元に「ハワイで製麺の技術指導をしてほしい」という依頼が舞い込んだ。

父は快諾し、準備を進めていたが、途中でその計画が破談になったという。だがすでに製麺機をハワイに送ってしまった後だった。

父は息子にこう提案した。

「もしお前がやってみたいというなら、資金を貸すから行ってみたらどうだ」

迷うはずもない。憧れの外国、夢のハワイ。夘木さんにとって、“アメリカンドリーム”へのチケットそのものになった。

ハワイに渡ったのは20歳になったばかりの1981年8月。英語が話せないどころか、就労するのにビザが必要だということすらわからない「まったくの世間知らず」(夘木さん)。語学学校に通いながら物件を探し、多くの人の助けを借りて1年後、小さな製麺工場の稼働にこぎつけた。

だが、工場の完成が近づくにつれ、夘木さんはある現実を知って不安を募らせていた。人口100万人ほどのハワイの麺需要を調べたところ、ラーメン店5店に対して、製麺会社はなんと19社にも上った。

後戻りはできない。ハワイの飲食店を片っぱしから訪ね、売り込みに駆けずり回ったという。

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