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英チャールズ国王の元側近が語る「紳士の教養」 名門ラグビースクールの日本校を創設した背景

東洋経済オンライン / 2024年8月28日 14時0分

スペシャリストよりジェネラリストに

堀内:教育の世界を自分のフィールドとしてやっていこうと思ったのは、どういった経緯からでしょうか。フェイフェイのバックグラウンドはとてもユニークなので、非常に興味があります。ご自身が中国で生まれて日本やアフリカで育ったことと、オックスフォード大学への留学で学んだ経験が強い影響を与えているのだと思いますが。

フェイフェイ:自身のことを少しお話させていただきますと、上海で生まれて7歳の時に日本に来ました。当時の日本は80年代後半のバブルの頃で、とてもエネルギッシュでした。上海では母と配給券をもらって野菜を買いに行くという生活をしていたのに、日本では街中にものがあふれ、近代的なきらびやかなビルが立ち並んでいて、強いカルチャーショックを受けた記憶があります。

それから11歳の時に、父の仕事の関係で南アフリカに行きましたが、大学は日本に戻り早稲田大学で哲学と文化人類学を専門に学びました。その後、オックスフォード大学に留学するのですが、さまざまな国で暮らし、その国の文化や習慣を経験するようになって、1つの言語や民族、国家という枠組みを超えたところで人類の歴史や人間社会が成り立っていて、ぼんやりとですがその中に自分という存在があると考えるようになりました。

何か漠然としたそうした思いをひと言でまとめてくれたのが、仏の哲学者パスカルの 'It is better to know something about everything than everything about something' という言葉です。つまり「何かについてすべてを知っているよりも、すべてについて何かを知っているほうがいい」というルネサンス的な発想ですね。

同時に、自分は中国出身ということもあったので、儒教に代表される古典の世界や文人の基礎教養とされていた琴棋書画を身につけなければという、中国的な文化精神の影響も大きかったと思いますが、基本的にはスペシャリストよりはジェネラリストになろうというのが私自身の目指すところとなりました。

堀内:オックスフォード大学への留学を経て、当時のチャールズ皇太子の下で補佐官を務められました。現在、展開されているフェニックスハウスやラグビーで英国を基盤とするカリキュラムを取り入れていることに強い影響があったのでしょうか。

英国で学んだ「紳士の教養」

フェイフェイ:英国王室でチャールズ国王(当時は皇太子殿下)のもとで8年間務めました。クラレンス(Clarence)宮殿(現在、私と妻とで共同経営するClarence Education Asiaの原点)には、ざまざまな領域と階層の人々が行き交っていました。

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