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フジテレビを辞め田中大貴アナが起業したワケ プロ野球などの実況中継しつつ会社を経営

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 9時0分

田中大貴氏(写真:筆者撮影)

元フジテレビアナウンサーの田中大貴氏とは、いろんな場所で顔を合わせる。社会人野球のトライアウトだったり、沖縄のジャパンウィンターリーグだったり。プロ野球だけでなく、さまざまな「野球の現場」で見かける。長い脚で、颯爽と会場に入ってきて、てきぱきと仕事をこなして、また颯爽と出て行く。

【写真】慶應大学時代の田中大貴アナ

「とくダネ!」や「すぽると!」などを担当してきたフジテレビを退職後、自身の会社を設立した田中氏は、さまざまなビジネスシーンで特別な役割を果たしているようだ。いったい、田中大貴という「ビジネスモデル」はどうなっているのか? オリックス戦の中継がある京セラドーム大阪で話を聞いた。

甲子園を目指した後に慶應義塾大へ進学

田中氏は、兵庫県小野市出身。小学4年生で野球をはじめ、中学は部活で軟式、高校は地元の小野高校へ。兵庫県屈指の進学校だ。

「小さい頃から基本的にやるべきことをすべてやったうえで、野球をする、というのが父の教えでした。僕も進学校で勉強しながら、出られるものなら甲子園に出て強豪校に勝ち、有名大学に行ってプレーするのが目標でした」

すでに肩を痛めていたため、高校時代から主に一塁を守った。

「2年生のときに、春の甲子園出場がかかった秋季大会でベスト4まで行って、選抜補欠校になったのが最高で、甲子園には出場できませんでした」

甲子園は出られなかったが、注目選手だったので、関西の大学から「スポーツ推薦」「指定校推薦」などの話があった。

「でも父は、野球も勉強も一流になるのなら東京に行きなさいと言った。何のつてもなかったのですが、慶應義塾大のグラウンドに行って、後藤寿彦監督にご挨拶をした。『進路説明会に来なさい』と言っていただいて、そこから慶應を目指しての猛勉強も始めました。

最低一浪はするだろうなと思っていましたが、最初に受けた試験で環境情報学部と総合政策学部に合格し、環境情報学部に進みました。日吉の慶應義塾大学野球部寮から環境情報学部のある湘南キャンパスまで通う日々でした」

大学合格とともに右肩の腱板損傷を治す手術を受けた。東京六大学の雄、慶應義塾大学には全国の有力私学から有名選手が集まる。

「僕の世代はいわゆる“松坂世代”で、早稲田の和田毅(現ソフトバンク)とか、立教の多田野数人とか、のちにプロで活躍した同世代が100人ほどいた。小野高から慶應の野球部に行ったのは僕が最初でしたし、しかも肩の手術をして出遅れた。試合に出るのは難しいかなと思ったのですが、2年生の時に1軍に入れてもらい3年で試合に出て、4年生で一塁のレギュラーとなり4番を打たせてもらうこともありました」

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