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日本人の「自画像」の書き換えが必要とされる理由 「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ

東洋経済オンライン / 2024年9月5日 11時0分

これは現在の視点から見るといささか議論がラフすぎるという印象も残るが、当時の日本の状況(この著書の原型となった論文が雑誌『中央公論』に発表されたのが1957年)においては、マルクス的な発展段階論とは異なるオルタナティブな世界史理解のアプローチとして大きな注目を浴びたのだった。ただし、先ほどの和辻の『風土』以上に「日本人論」というカテゴリーに収まるかは若干微妙な面があるので、図では括弧に入れて示している。

「自然」や「環境」をめぐる次元の重要性

以上を踏まえてあらためて前掲の図を見ていただくと、これらの3著作を加えたうえで、全体としてやはり高度成長期とその前後の時期の主要な日本人論の多くは、日本社会における人と人の「関係性」、あるいは「コミュニティ」ないし集団のあり方に主たる関心を向けているという点が確認できると思われる。

それでは、なぜ当時の日本人論においては、こうした日本社会における人と人との関係性をめぐるテーマが主要なトピックとなり、「自然」や「環境」をめぐる次元、あるいは日本人の自然観ひいては「アニミズム的文化」といった視点の議論は少なかったのだろうか。

おそらく次のような理由ないし背景があったと思われる。

すなわち、当時の日本人論の多くは、急速な近代化ないし工業化の坂道を登りつつある日本社会の“後進性”、あるいは後進性とまで言わずとも欧米との対比における特質に主たる関心があり、そうした文脈において、日本における「個の確立」の弱さという点、あるいは日本社会の“ムラ社会”的性格といったことが大きなテーマとなっていたのである。

そして、この関心の方向からすれば、先の図のピラミッドにおいて望ましいのは「自然→コミュニティ→個人」という、いわば上に向かうベクトル、あるいは“離陸”の方向ということになり、おのずと「自然」や「環境」への関心は後景に退くことになるだろう。

もちろん日本においても、たとえば柳田國男、折口信夫、谷川健一等といった民俗学の系譜や、岡正雄、大林太良、岩田慶治等といった民族学ないし文化人類学の流れ、あるいは宗教学、歴史学等々の領域において、アニミズムを含めた日本文化における自然観や死生観等に関わる探究は脈々と行われていたと言えるが、それらは当時の時代状況において(先に挙げた日本人論の著作のようには)社会全体の関心を引き起こすには至らなかったのである。

生命と死の根源にある次元にまでさかのぼった探究

以上が高度成長期およびその前後の時期における日本人論の特徴とその背景である。

しかしながら、高度成長期とは異なる現在のような成熟化の時代において、日本あるいは日本文化についての深いレベルでの理解を進めていくためには、むしろ図のピラミッドの土台をなしている「自然/環境」の次元、あるいは日本人の自然観、ひいては生命と死の根源にある次元にまでさかのぼった探究が必要であるというのが本稿の関心である。

そこで浮かび上がるのが「アニミズム文化としての日本」という視点であり、これらについて次回さらに考えてみよう。

広井 良典:京都大学 人と社会の未来研究院教授

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