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3浪「東京藝大」黒歴史の浪人を"肯定できた瞬間" 合格後も受験時代の自分にとらわれていた

東洋経済オンライン / 2024年11月3日 7時40分

※写真はイメージです(写真:Graphs / PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は愛知県の高校から3浪して、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に進んだ新家陽子さんにお話を伺いました。

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厳しい競争を勝ち抜いた

今回お話を伺った新家陽子さんは、3浪で東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に合格した方です。

【写真】新家さんの作品と、現在の新家さん

美術学部絵画科日本画専攻は、今でも倍率が15倍を超えることが珍しくない難関ですが、新家さんが受験した1992~1994年は、毎年30倍程度の倍率を誇っていました。

3浪で東京藝大に入った新家さんは、大学を出てから10年以上、浪人時代に培ったものに縛られてきました。ただ、あることがきっかけで浪人時代の経験を前向きに受け入れられるようになったそうです。

厳しい競争を勝ち上がった彼女は、どのような浪人生活を送ったのでしょうか。そして、何がきっかけで、浪人を肯定的に受け止められるようになったのでしょうか。

新家さんは1972年、愛知県名古屋市内に生まれました。父親と母親は、大学卒業後に公務員として働いていました。

新家さん自身は、保育園のころから絵を描くのが大好きな子どもで、お絵かき帳には、つねに自身が描いたお姫様でいっぱいだったそうです。

一方で、このころには自分が思う自分の姿と周囲の見方とのズレに違和感を抱くようになりました。

「周りは運動が得意な活発な子として私のことを認識していました。ただ、私は運動が好きではなく、本当に好きなのは絵を描くことだったのです」

小学校時代は運動神経のよさを生かして市の陸上競技記録会に出場していたものの、運動よりも料理や裁縫など、モノを作ることのほうが好きだったと語る新家さん。公立中学校に進んでからは絵画部に入部し、運動からは距離を置いた生活をしていました。

中学生活の学業成績は、最初のテストはちょうど真ん中だったものの、次第に上がって、最終的には110/525番くらいにはなれたと振り返ります。

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