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ブルトレから新幹線まで「食堂車」黄金期の記憶 かつては全国を走っていた「鉄道の旅の楽しみ」

東洋経済オンライン / 2024年12月18日 6時30分

ブルートレイン「あさかぜ」に連結されたオリエント急行風インテリアの食堂車(撮影:南正時)

日本の鉄道の「食堂車」は1899年5月25日、私鉄の山陽鉄道(現在の山陽本線)が急行列車に連結したのが始まりである。それから120年以上を経て、今では定期列車の食堂車は姿を消し、庶民には高嶺の花の豪華クルージング列車にその存在があるだけになってしまった。

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しかし、食堂車を懐かしむ声は根強い。そこで今回は、在来線特急やブルートレイン、そして新幹線など、昭和30年代以降の食堂車の歴史をたどってみたいと思う。

ブルートレイン食堂車取材の思い出

第二次大戦中に営業を中止していた食堂車は、1949年9月から東京―大阪間で運転を始めた特急「へいわ」で復活し、その後長距離急行列車で次々と食堂車が営業を開始した。

1958年10月には東京―博多間に最新型の20系客車による元祖ブルートレイン、特急「あさかぜ」が誕生した。20系には本格的な食堂車ナシ20形が連結され、その後次々と誕生した寝台特急「さくら」「富士」などにも広がり、食堂車といえばブルートレインとまで言われるようになった。

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筆者は「あさかぜ」20系食堂車のルポを敢行したほか、昭和50年代初頭にはある雑誌の企画として食堂車内で働く女性たちを全国的に取材したことがある。そのときのブルトレ内のエピソードを披露したい。

その取材で乗ったのは「はやぶさ」だった。食堂車の従業員に取材のあいさつに行くと「新人さん」と呼ばれている高校を卒業したばかりの女性が勤務についていた。まだ接客もままならず、カメラを向けると顔をそむけるしぐさをした。すると、ベテランのスタッフが「ダメよ、サービス業なんだから笑顔でね」と注意した。

それから2年後、再び取材で「はやぶさ」に乗ったときのことだ。食堂車にあいさつに行くと、カウンターで接客に忙しく働く、見覚えある顔の女性がいた。「あ、あのときの新人さん」と声をかけると、女性クルーのリーダー格として食堂車を切り回していたのだ。彼女は「はい、あのときのことはよく覚えています、あの取材で度胸がついたみたいで……」と言った。うれしい再会だった。

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