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「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原"主役交代"の歴史 アナログ写真を見れば歴然「60年前と今」街の差

東洋経済オンライン / 2025年1月9日 9時0分

その70年代から、日立、シャープ、NECなどの国産のコンピュータは製造販売されていた。まだ、コンピュータ本体も大きく、ディスプレイはブラウン管テレビのように巨大だったが、そんなコンピュータをなんとか手に入れたい、使いこなしたい、中には自分で組み立てて自作したいというマニア達がIC(集積回路)などの電子部品を求めて秋葉原に集まった。

もともとラジオ、無線などの部品を入手できる街であった秋葉原では、国内メーカーがパソコンを製造し始めるとそれらも取り扱うようになり、徐々にパソコンの市場が家電を凌駕するまでになる。

日本初のマイコンの店は、1976年に秋葉原ラジオ会館2階に開店した「NEC Bit-INN東京」だそうだ。80年代前半にはサトームセンなどの大手何店かがマイコンの店を開店し、その他の店にもパソコン売り場が増えていった。

「ボーナスが出れば家族で秋葉原」だった80年代

1980年代の秋葉原の写真を見ると、当時はこの街が家電、そしてパソコンの街だったことがわかる。主力製品は、パソコンのほか、テレビ、ビデオ、オーディオ、クーラーや、冷蔵庫、洗濯機などの白モノ家電だ。

この時代はまだ、秋葉原に来れば、品揃え豊富な店で安く家電が買えるという共通認識が日本国中に行き渡っていた頃で、人々はボーナスが出れば家族で秋葉原に行き、新製品の大型テレビ、ビデオカメラ、電子レンジなどを購入し、それが“豊かさの実感”に繋がっていた。

第一家庭電器、オノデン、サトームセン、ミナミ電気館、ラオックス、ヤマギワなどの大型店が相変わらず有力店で、中には、パソコン館、オーディオ館などの別館を構えていたところもあるが、今、この中で健在なのはオノデンのみ。ラオックスは2009年に経営者が変わり、免税店中心の展開となっている。

パソコンに主役交代した90年代

1984年にアップルがマッキントッシュを発売すると、1990年には日本IBMが基本OSのDOS/Vを発表、マイクロソフト社はWindows3.0を発表し、この頃、現在に至るデジタル社会の下地が整った。

90年代に入るとラオックス、ソフマップなどが中央通り沿いにパソコン専門店を開店。ついに1994年には、秋葉原の街で初めて、パソコンの売り上げが家電の売り上げ額を上回るようになる。

この頃には既製品パソコンの解体品を扱うジャンクショップも増え、マニア達がコンピュータを自作するためにジャンクや部品を漁る場所ともなっていった。

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