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「40代なのに老害」兆候のある人が始めたい習慣 老人なりの「安らげる居場所」を自分でつくる

東洋経済オンライン / 2025年1月24日 11時0分

2つを比べて、どちらが良い悪いと即断できる人はそういないでしょう。新しい錐にも古い錐にも役割がある、居場所がある。それでいいのです。

同じことが人間にもいえます。

確かに、年をとれば体力は落ちる。頭の回転は遅くなり、記憶力も落ちる。職場でも、新しい仕事を任されるのは若者で、自分は後方支援に回される。かつてのように働けない境遇を寂しく思う人もいるでしょう。

かといって、頼まれもしないのに若者にアドバイスをしたり、「自分はまだできる、今どきの若いものには負けない」などと自分の立場や地位に固執すると、それこそ老害呼ばわりされるのがおちです。

老いたものには、老いたものとしての価値があるのです。その価値を早いうちから見つけられたなら、老いは恐ろしいものではなくなる。そうは思いませんか。

「何もしない」のも年長者の役割

そもそも「閑」とは「心安らいだ」状態のこと。禅の世界でも、修行を積んで円熟味を増した僧侶は閑古錐と呼ばれ、尊敬の対象です。職場においても、閑古錐として自分が果たすべき役割を見つけられたなら、老害呼ばわりされる心配もないでしょう。

若者が自分から頼ってくるまでは、シニアは出しゃばらず、「何もしない」でいいと思います。若者が自分で考え、工夫し、失敗を繰り返しながら成長していくのを見守りましょう。

それに、若者には若者なりに大事にしている仕事のやりかたや価値観があるのです。それを理解しないまま「それは違う!」「こうやってみたら?」などと自分の意見を押し付けても、若者はまず耳を貸しません。

しかし、若者が本当に困って、あなたを頼ってきたら、話は別です。

まずは、自分の意見を述べる前に、若者の話をよく聞くことです。

その後で、

「昔、似たような仕事で苦労をしたことがあってね」

「あのときは自分ひとりで終わらせようと頑張ったんだけど、その結果、多くの人に迷惑をかけてしまったんだ。今思えば、早めに白旗をあげて、周りに助けを求めればよかったかもしれないね……」

と、自分の経験を述べるのです。

こうしなさい、ああしなさいと、仕事の「答え」を授けることはできなくてもいいと思います。

そもそも、そんなことができるとは思わないほうがいい。経験豊富なシニアにできるのは例えば若い人の「心情」に寄り添った話ができることです。若者が若者なりに考えるためのヒントや、「悩んでいるのは自分だけじゃないんだな」と思えるよう自分の失敗談を話すことではないでしょうか。

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