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「102歳の薬剤師」今も"週6勤務"を続ける深い理由 夫の事業失敗、30歳で開業…予定外でも幸せな人生

東洋経済オンライン / 2025年1月28日 9時0分

1年ほど過ぎたある日、またしても突然、夫がこう言った。

「友だちが、あんたの奥さんは薬剤師の免許を持っているんだから、薬屋さんでもやったらどうだって言うんだけど、やる?」

興味を惹かれ「やりましょう!」と即答してからの行動は早かった。自宅を売って開業資金を作り、現在の土地付きの店舗兼自宅を購入。幡本さんは薬学専門学校時代の同級生が営む薬局に見習いに行き、開業に備えた。

30歳で「安全薬局」を開業

1952年、幡本さんが30歳の年に「安全薬局」が開業する。ここから幡本さんの仕事人生が始まった。女学校時代に父が描いてくれた通りの薬剤師の道である。傷薬から腹痛、頭痛、風邪薬などスタンダードな市販薬を取り揃え、石鹸や洗剤などの家庭用雑貨も並べた。

住宅街で近所に雑貨店がなかったこともあり、雑貨はよく売れて町の薬局として覚えてもらえるようになり、商売は繁盛していく。雑貨や薬の配達も始めて従業員を増やした。

開業から十数年、薬局の経営が安定してきた頃、幡本さんは薬学専門学校の先輩に勧められて、世間ではあまり知られていなかった漢方の勉強を始める。学ぶほどに漢方の奥深さを実感した。

そして、自分たちの薬局のありかたを考える。

常連客からは次々と雑貨の注文が入る。売り上げは増えるが、薬剤師として物足りなさを感じていた。しかも雑貨が売れて繁盛するほど、勉強する時間は取れなくなっていく。

「思い切って、夫婦で冒険しようと決めました。雑貨はきっぱりやめる。普通のお薬も順次やめて、漢方薬を置いていこうって」

そして、1972年に幡本さんが東京医科大学の漢方特別講座を修了したあと、安全薬局は漢方薬に特化した薬局に舵を切った。

「神様仏様、皆々様」

そうして薬剤師として2度目のスタートを切った。幡本さんはしみじみと言う。

「私の人生は自分で何かを切り開いてきたというよりも、いつも人に助けられてきたなと思うんです。

薬局を始めることができたのは、父のすすめでお免状を取っていたから。仕入れ先も決まっていない私たちに薬問屋を紹介してくれたのは、店の看板をお願いした看板屋さん。漢方薬の勉強は、『これからは漢方薬の時代よ』と先輩が筋道を立ててくれた。

そして、私がいま健康で薬剤師の仕事だけに打ち込めるのは、娘夫婦が同居してくれたから。もう40年以上、娘が炊事も掃除も洗濯も全部やってくれます。今の自分があるのは私の力ではなくて、本当に皆さんに支えられてきたからなんです」

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