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年収は1/3に「それでも名物DがTBSを辞めた」理由 大前プジョルジョ健太さんが辿る「奇異な人生」

東洋経済オンライン / 2025年1月30日 9時0分

TBSを退職後、無職や引っ越しセンターなどでのアルバイトを経験。最近は、バラエティ番組『国境デスロード』(ABEMA)の撮影で世界中を飛び回っていた大前プジョルジョ健太さん(写真:ABEMA提供)

「気づいたらTBSを退職していました。当時28歳だったんですけど、自分の将来を考えたときに『本当にこのままでいいのか』という不安があって……」

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映像ディレクターの大前プジョルジョ健太さん(以下、大前さん)が2024年1月にTBSを退職したとき、多くの人は驚いた。

なぜなら彼は、バラエティー番組『不夜城はなぜ回る』でギャラクシー賞を受賞し、将来を有望視されていた新進気鋭の映像ディレクターだったからだ。

安定した収入を捨て、無職となった大前さんは、なぜTBSを退職する道を選んだのか。

『不夜城はなぜ回る』は、真夜中に明かりが灯っている場所「不夜城」にいる人は何をしているのか、体当たりで取材をして明らかにしていく番組だった。今回、取材して見えてきたのは、彼こそ取材対象者になりうる“奇異”な人生を送っているということだ。

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飛田新地の近くで生まれ、ホームレスの友人がいた

大前さんは1995年、日本人の父、インドネシア人の母のもと、大阪で生まれた。彼の実家から自転車で10分くらいの場所には「現代の遊郭」飛田新地があった。

「小さい頃、よく飛田新地に間違って入って『ここに子どもは入ってくんな』と言われていました。大学1年生のときに帰省して、たまたま前を通ると『お兄ちゃん遊んでいきなよ』と声をかけられて、『僕も大人になったんだな』としみじみ感じました」

彼が幼少期によく遊んでいた友人は、ホームレスの男性だった。実は大前さんが番組を作るうえで核となる部分には、この幼少期の日々が多いに影響している。

「当時の大阪は、『2002 FIFAワールドカップ 日韓大会』などがあった影響で、公園にいるホームレスの方々が立ち退かされてしまったんです。その中でもわずかに公園に残っていた方と僕は接する機会が多くて、よく遊んでもらっていました。『100円あげるから、1000円ちょうだい』って言われてましたね(笑)」

特に仲がよかったのが、「俺はロッテの2軍監督なんや」「西鉄ライオンズの元ファーストや」とにわかに信じがたいことを自称する“しんのすけ”さん。当時の大前さんは、しんのすけさんの言うことを信じて尊敬していた。

「しんのすけさんとは、ほぼ毎日野球をして遊んでいました。ある日、ボールがしんのすけさんの眼鏡に当たって壊れたことがあって。プロ野球の監督なのに、ずっと眼鏡を買い替えずにセロハンテープを貼って使っているので、もしかしたらホームレスなのかなと気づきました。だけど彼と遊ぶのは楽しかったし、ホームレスであろうと関係ありませんでした」

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