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3回の「初代大統領」を務めたモンゴル人政治家 モンゴルの移行期を背負ったオチルバト大統領の軌跡

東洋経済オンライン / 2025年2月1日 16時0分

学生時代を通じて彼は極めて優秀な成績であったと思われる。彼は自分の意思ではなく、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)にある鉱業大学へ留学した。

「私自身はジャーナリストになりたかったのです。『ロモノーソフ記念国立総合モスクワ大学ジャーナリズム学部で勉強するぞ!』と思っていました。…当時、モンゴル人民革命党中央委員会が『成績優秀な男子生徒を鉱業専門分野の学校に留学させる必要がある!』という指示を出したのですよ。それでレニングラード市の鉱業大学に留学することになりました。当時、中学校で成績が優の生徒たちの中から選りすぐって選抜試験を受けさせ、合格したら外国に留学させる制度でした。ロシアの大学に留学し、専門を修得するというのはたいへん幸運なことであり、長期にわたってモンゴルの若者たちの夢でした。普通の牧民や作業員の子どもたちにソ連の大学に無償で留学するチャンスを与えていたことは、社会主義時代の非常に優れた点ですね。

私が学んだ鉱業大学は1773年に創立された世界初の技術学校の1つです。すばらしい学校ですよ。私はこの学校を1965年に鉱山技師専攻で卒業しました。1990年に再びこの学校に行って理学博士の学位を取得しました。いつの時代もロシアの技術教育の水準は世界のトップクラスに入っていますよ」

ソ連留学から鉱業大臣へ

ソ連で学んだ専門知識を生かして、帰国後、彼は技術者から官僚を経て政治家へと出世していく。そのキャリアは、モンゴル国営通信の日本語版で以下のように紹介されている。

「オチルバト氏は、1966年に工業省の職員として人生をスタートさせ、1967年〜1972年にかけてシャリーンゴル鉱山の主任技師、1972年〜1976年にかけて燃料・エネルギー・地質省次官、1976年〜1985年にかけて燃料・エネルギー省大臣を務めた。その後、1985年〜1987年にかけて対外経済関係国家委員会の委員長、1987年〜1990年にかけて対外経済関係・供給省大臣を務め、1990年3月21日〜9月にかけてモンゴル人民共和国人民大会議幹部議長を務め、1990年9月3日〜1992年2月にかけてモンゴル人民共和国大統領を務めた。1992年2月12日からモンゴル国大統領を歴任した。また、1993年のモンゴル大統領選挙で国民の信頼を受けて再選され、1997年6月までモンゴル国大統領を務めた」(エンフトヤー著「モンゴル国民は世代を超えて追憶」『モンツァメ』2025年1月20日オンライン記事)

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