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リストラから奮起「プロレス美術館」作る60歳人生 自宅の一室をプロレス愛と熱狂が詰まった空間に

東洋経済オンライン / 2025年2月11日 8時10分

プロレス美術館・館長の湯沢利彦さん。美術館を作った熱い思いを長時間にわたって語ってくれた(写真:著者撮影)

清水寺や金閣寺など、たくさんの観光スポットで溢れる古都京都。日本の伝統と文化が息づくこの街に、プロレスに関するお宝やグッズで埋め尽くされた珍しい個人美術館があるという。

【6枚の写真を見る】普通の一軒家にしか見えないプロレス美術館の外観から、館長の情熱が詰まった展示物まで

著者自身も14歳のときに深夜に放送されていたプロレス番組『ワールドプロレスリング』を見て以来のプロレスファンだ。早速訪ねてみることにした。

ごく普通の一軒家にプロレス美術館が!

「プロレス美術館」は、京都市内の中心地から少し外れた住宅地にある。外観はごく一般的な一軒家にしか見えない。

しかし、開館日になると玄関前に「プロレス美術館 OPEN」と書かれた看板が立てかけられる。入り口は二階の脇にある扉で、家の外にある階段を上って入る。開館は月に2日ほど。自宅の一室ということもあり、来館は事前予約制となっている。

ごく普通の個人宅にしか見えない扉を開けると、プロレスファンにはたまらない夢の空間が広がっていた。迎えてくれたのは、湯沢利彦(ゆざわとしひこ)さん。

館内はミニチュアのリングを中心に、昭和のプロレスで活躍したプロレスラーゆかりの品々が展示されている。手作り感溢れるこの空間は、湯沢さんが1年ほどかけて手作りしたという。

2000年に開館し2025年の今年で25年を迎える。その間に1300名近くの人が来館した。しかしなぜ、湯沢さんは自宅の一室を美術館にするに至ったのだろうか。そこには、仕事やお金など様々な苦労を乗り越えた湯沢さんの生き様が大きく関わっていた。

プロレス会場からは下を向いて帰った

1964(昭和39)年生まれの湯沢さん、子どもの頃は仮面ライダーが好きで、毎週のように放送を楽しみにしていたという。

そんな湯沢少年の人生を大きく変えた出来事が起きたのは10歳のとき、たまたまテレビをつけたときに流れていたプロレス番組『ワールドプロレスリング』だった。

その日は1974年3月22日、東京・蔵前国技館で行われたアントニオ猪木とストロング小林の試合が録画中継されていた。この試合は、プロレス史に残る名勝負として半世紀が経った現在でも語り継がれている。

「生身の人間が激しくぶつかりあう姿を見たわけですよ。そういう特撮以上のリアルさですよね、そこに大きな衝撃を覚えたんですわ」

戦う2人のプロレスラーの姿は、湯沢少年をすっかり虜にした。著者も14歳のときに『ワールドプロレスリング』を見てプロレスが好きになった。時代を問わず、この世の中のどこかにいる子どもを引き込む強い魅力がプロレスにはある。そのことに少し胸が熱くなる思いだった。

お小遣いで通い詰めるように

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