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「日本はまだ追いつける」 防衛技術の博物館は“21世紀の文化” 軍事技術→民間への過程を残す意義

乗りものニュース / 2024年4月26日 9時42分

イベントで勢ぞろいした戦前生まれの貴重な車両。手前から九五式小型乗用車、九五式軽戦車、九五式軽戦車改造更生戦車(乗りものニュース編集部撮影)。

乗りものニュースが開催した「旧日本軍『奇跡の現存車輌』特別公開 in 御殿場」のトークショーでは、公開車両の解説のほか、日本で遅れているという防衛技術系博物館の現状が紹介されました。日本はまだ「追いつける」と識者は強調します。

世界最初の戦車登場から、すぐアプローチした日本

 2024年4月21日、乗りものニュースは公式イベント「旧日本軍『奇跡の現存車輌』特別公開 in 御殿場」内において、軍事・歴史ライターの宮永忠将さんと軍事ライター・イラストレーターの吉川和篤さんを招き、スペシャルトークショーを行いました。

 今回のイベントでは、NPO法人「防衛技術博物館を創る会」(以下:創る会)協力のもと、同会が所有する旧本軍で使用された九五式軽戦車(通称:ハ号)、九五式小型乗用車(愛称:くろがね四起)と、戦後に国土復興のため九五式軽戦車を転用して造られた九五式軽戦車改造更生戦車(ブルドーザー)を公開しました。その3車両の細かい解説を吉川さんが行いました。

 吉川さんによると、戦前の日本戦車は外国戦車を参考につくられたといいます。第一次世界大戦中の1916年に歴史上はじめて戦車が登場すると、早くも1918年には日本へマークIVひし形戦車が輸入されていたそうです。「意外と日本は早くアプローチしていたんですよね。第一次大戦中に使節団を既に派遣しているんです」と吉川さん。

 1936(昭和11)年に制式化された九五式軽戦車や、そのすぐ後に登場した九七式中戦車は、ドイツがまだI号戦車を使っていた頃に登場した車両であり、当時の日本の戦車技術が大幅に遅れていたわけではないと話しました。

 その九五式軽戦車の車体を戦後に流用して作られた九五式軽戦車改造更生戦車は、吉川さんによると「300両はあった」とのこと。また、更生戦車はブルドーザー以外にも、「雪上での寄り合いバスとして使われた記録や、労働闘争の鎮圧に更生戦車が投入されたという話もあります」と、様々な用途で使用されたといいます。

 そしてもう一つの公開車両である「くろがね四起」こと九五式小型乗用車は、世界的にもかなり早い段階で戦場に投入された小型四輪駆動車であり、「まだアメリカのジープもドイツのキューベルワーゲンも世に出ていない時代です。その中で小型とはいえ四輪駆動を開発したというのはなかなか素晴らしい」と吉川さんは評価しました。

 また、宮永さんからは「当時の兵器としては海外コピーが多いなか、くろがね四起に関してはどうなのですか」と質問が出ると、吉川さんは「結構オリジナルだと思います。もう少し大きい車両はありましたが、小型なものは前例がありませんでした。色々なものを捨て去って人を運ぶことに特化した車両という発想は日本独自だと思います」と答えました。同車両はクルマというよりは、偵察や伝令を行う軍用の側車から派生したため、独自のものとなったようです。

防衛技術博物館は日本に根付くのか?

 宮永さんからは、創る会が設立することを目標としている防衛技術博物館がどういったものなのかが語られました。
 
「産業技術に置いて一番尖った技術である軍事技術が、いかにして民間へ降りていったのか、その過程をしっかり残しておく活動をすべきではないだろうか」。宮永さんはこう話し、防衛技術系の博物館に関して日本は諸外国から遅れていると訴えました。

 宮永さんは例として、戦車保有数で世界最多を誇るイギリスのボービントン博物館を挙げます。今でこそ同館は世界最大規模の防衛技術博物館として、実車両を定期的に動かし、車体を輪切りにしたカットモデル、実車やレプリカを使用した1/1ジオラマなど、様々な展示を行っていますが、宮永さんは「実はボービントンが今の形になったのは1980年代になってからなんです」と明かしましたす。

 それ以前のボービントン博物館は、旧式の戦車が無造作に置かれているだけで「特に工夫はなかった」と宮永さん。しかしそこから、博物館そのものの改革に乗り出し、今や勤務しているキュレーターは全て戦車のエキスパート。このスタッフたちが解説や整備を行う動画を投稿しているYouTubeの公式チャンネルに至っては、初めて博物館の動画で1億ビューを超え、総再生数ではルーブル美術館の動画を超えるそうです。

 次に宮永さんは、オーストラリアの砲兵博物館を紹介。「この博物館は2014年にできたのですが、わずか10年で100両以上の戦車を保有する博物館になっています」と解説しました。

 同博物館の車両の多くは、規模を縮小したアメリカの博物館から譲り受けたものだそうですが、「受け皿があったからこそ、アメリカの博物館が資産を引き渡したというのはあると思います」と話し、場所や人員の確保は重要だと強調しました。

 こうした防衛技術系博物館のPR活動は、世界的には2000年代以降に本格化した新しい文化だといいます。宮永さんは、「現有の施設という面で日本は遅れてはいるかもしれませんが、始まってしまえば、難航するという状態ではないと思います。まだ追いつけます」と持論を語ります。

「たとえば、先日退役した74式戦車(2023年度で全車退役)をただ展示するだけではなく、動かすとか、まだ世界に公開されていない日本戦車は沢山あります。展示する施設ができれば新しい車両を紹介できる。定期的なツアーを組むことも増えてくる。それが当たり前になれば素晴らしいです」(宮永さん)

 今回のイベントで公開された3車両は、そうした防衛技術博物館設立のきっかけとなる車両であると強調しました。

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