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<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人」~若光(後編)

Wow!Korea / 2016年8月25日 17時43分

この高麗郡の長官になったのが、大磯から移ってきた若光だった。

すでに来日してから50年の歳月が過ぎていた。相当な高齢になっていたはずだ。それでも若光は率先して、高麗郡の開発に従事したことだろう。

現在、日高市にある聖天寺には、山門の少し右に「高麗王廟」があるが、これは若光の墓だと伝えられている。高さ2・3メートルの石塔であり、砂岩を5個重ねた構成になっている。

そもそも、聖天院は若光の菩提寺として751年に創建されたものである。この寺は、江戸時代に高麗郡の本寺として栄え、「院主の格式は諸公に準ずる」と称されたほどだった。

さらに、聖天院から北に500メートルほど進むと高麗神社がある。ここは若光を祀る神社で、若光の子孫が宮司を代々務めている。

このように、今の日高市には、若光の遺徳を偲ぶことができる場所が多いのである。

■関東の武士の先祖は?

高麗郡そのものは、1896年に入間郡と合併になって、その郡名がすっかり消えてしまった。

ただし、高麗村と高麗川村という二つの村があったのだが、1955年に合併して日高町になり、1991年に日高市に移行した。

ただし、高麗川、JR「高麗川」駅、西武鉄道「高麗」駅のように、川や駅にまだ高麗の名が残っている。

さらに、気になることがある。

高麗郡が創設されて1799人の高句麗人が移住してきたが、その末裔たちはどうなったのだろうか。

高麗郡の創設から300年以上が過ぎると、馬の扱いに慣れた武士が関東に多く現れるようになった。彼らの先祖を辿っていけば、おそらく若光の一団に行き着くのではないだろうか。

そんなふうに想像してみると、若光の影響力が関東に強く残ったことがうかがえる。

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

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