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自主製作映画の収蔵から上映まで――「わらじ片っぽ」の軌跡【国立映画アーカイブコラム】

映画.com / 2024年3月10日 16時0分

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「わらじ片っぽ」公開当時の上映用ポジ

 映画館、DVD・BD、そしてインターネットを通じて、私たちは新作だけでなく昔の映画も手軽に楽しめるようになりました。 それは、その映画が今も「残されている」からだと考えたことはありますか? 誰かが適切な方法で残さなければ、現代の映画も10年、20年後には見られなくなるかもしれないのです。国立映画アーカイブは、「映画を残す、映画を活かす。」を信条として、日々さまざまな側面からその課題に取り組んでいます。広報担当が、職員の“生”の声を通して、国立映画アーカイブの仕事の内側をご案内します。ようこそ、めくるめく「フィルムアーカイブ」の世界へ!

 国立映画アーカイブはこれまで、「狂った一頁」[染色版](1926)や「忠次旅日記」(1927)など、当時から高い評価を得ており、現在も映画史の名作として考えられている作品を、みなさまに見ていただける状態に復元し上映してきました。しかし、国立映画アーカイブの映画保存や上映は、有名作だけに限定されているわけではありません。とくに小規模な自主映画に多いケースですが、画期的な作品であっても様々な理由から鑑賞機会が稀となり、正当な評価を得ることなく、映画ファンにも知られていない状態の作品も数多くあります。これらのフィルムを適切に保存し、上映することで、その重要性を改めて検証することも当館の使命のひとつです。自主映画であるため監督等スタッフ個人が保管していることも多く、保存環境も様々で、オリジナルネガや上映用のポジが経年で劣化していたりすることもあります。このような自主製作の作品を、どのように観客のみなさまにお届けするのか、本コラムの第8回で荻野茂二のサイレントの小型映画の復元について紹介しましたが、今回は音声のある映画について、「わらじ片っぽ」という作品を具体例にご紹介しようと思います。

 「わらじ片っぽ」は1976年に鵞樹丸(本名:村上靖子)監督が仲間らとともに16ミリフィルムで製作し、プロのスタッフも参加した自主映画です。当時、一般的な映画館で上映されていた劇映画は35ミリ幅のフィルムで撮影・上映されていましたが、それの約半分の幅である16ミリのフィルムは、ドキュメンタリー映画や本作のような低予算の自主映画で多く使われていたフォーマットです。35ミリに比べると、低予算かつ身軽なカメラで撮影ができ、映写も簡便で小規模の上映会に適しています。

 本作は、女性の自由と抑圧、開発による自然環境の問題をテーマとしています。1960年代後半に開発が始まった東京の多摩ニュータウンに代表される現代と、鎌倉街道をたどる鎌倉時代のシーンを交錯させながら描く、セリフのない実験的作品でした。当館機関誌のインタビューで、鵞樹丸監督は製作意図を「時代の移り変わりのなかで女性の主権がどのように崩れていったかということを描きたかった」「(劇映画の世界は)映画女優として名をなした田中絹代さんや左幸子さんくらいしか監督として映画を撮る機会を得られないことについては悔しいと思っていました。」と話されています。また、撮影の堀田泰寛など記録映画はじめプロの現場で活躍していたスタッフが集結しており、自主映画とプロの融合という点も大変興味深い作品です。完成後は東京を中心に自主上映され、アメリカのロサンゼルスでも監督自身がフィルムをもって渡米し上映が行われました。しかし、その後は見る機会も稀となっていました。本作について調査した研究員の森宗厚子さんは次のように話します。

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