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ビヨンドMBAの可能性秘める日本の「100年企業」 元中小企業庁長官が語る「温故知新」経営の強み

東洋経済オンライン / 2024年1月1日 9時0分

日本の老舗企業にもファミリー企業はあるが、血統主義を優先させない。養子縁組を中心とした疑似ファミリーや、番頭を社長に据えた血の薄いラージファミリー、スライドファミリーと呼ばれる型が多く、優先されるのは血統よりコーポレートだ。

世界最古のホテルである西山温泉慶雲館(山梨県)。慶雲2(705)年に藤原鎌足の長子の藤原真人が源泉を発見、開湯したとされ、武田信玄や徳川家康も入湯したと伝えられる高級旅館だが、業績不振のため2017年に運営会社を分割した。この時、創業家以外の社員が第53代社長に就任している。ガバナンスやコーポレートが優先された結果だ。

――創業家だから温故が生まれるわけでは必ずしもないと。すると温故はどこから沸くのでしょう。

「企業は社会の公器」だと言った渋沢栄一(1840~1931)が与えた影響も大きいと思うが、私は、江戸時代の思想家、石田梅岩(1685~1744)が果たした役割に注目している。石田は陽明学と浄土真宗の教えを合体させるという画期的なことをやった。

利益や私益を悪く捉える武士道の朱子学とは違い、陽明学は利益を認める。悪人正機説の浄土真宗は欲深い人間こそ救われるという教え。陽明学と浄土真宗の合体は、すなわち利益と欲の合体を意味した。

利益と欲を合わせて肯定する教えを『日本永代蔵』や『世間胸算用』といった小説で世に広めたのが井原西鶴だ。それを読んだ庶民が「商いは良いことなんだ」と認識するようになった。広まった背景には当時の識字率の高さもあった。江戸の識字率は武士がほぼ100%。成人男子は45~55%、成人女子も19%~24%ほどあった。当時の世界では最高ランクのリテラシーだろう。

商人たちの覚醒を武士らは面白く思わなかったが、農本主義によって疲弊していた藩の財政を支えたのは商業を活性化させた商人たちだった。石田思想を通して知的レベルを上げた庶民、商人たちが藩の財政をも救った。藩財政を救ったことで商人たちの社会的ステータスは格段に上がった。

利益や欲を持ちつつも公に尽くす商人道をゆく者たちが明治維新後、次々に事業を興し、100年企業の礎を築いていくことになる。

欧米の認識より先を走っていた

――商人道の萌芽は江戸時代にあったのですね。

江戸時代に形成された商人道を体現する一例が近江商人の「三方良し」だ。①自らを律しつつ環境と共生する。社員を守り、生かす堅実経営の理念を遵守する(売り手よし)。②顧客第一主義を貫く(買い手よし)。③地域社会や国に貢献する(世間よし)。

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