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「一睡もできなかった。息が苦しい」「毒を盛られたのではないだろうか」…政府が関与を認めた“ヤバすぎる暗殺事件”の“恐るべき手口”

文春オンライン / 2025年1月11日 6時10分

「一睡もできなかった。息が苦しい」「毒を盛られたのではないだろうか」…政府が関与を認めた“ヤバすぎる暗殺事件”の“恐るべき手口”

©AFLO

 2000年にロシアの大統領に就任して以降、20年以上もの間、ロシアの実権を握り続けるウラジミール・プーチン。彼が関与した暗殺事件で、夫アレクサンドラ・リトビネンコを亡くした女性がいる。

 暗殺事件はどのように発生し、どのように全貌が明らかになったのか。ジャーナリストの小倉孝保氏による『 プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録 』(集英社新書)を抜粋し、紹介する。(全2回の1回目/ 続き を読む)

◆◆◆

実行!

 ちょうどそのころ、ルゴボイ(注:リトビネンコが暗殺されたと思われる場に同席したロシア人)は外出先からホテルに戻った。午後3時32分、フロントでトイレの場所をたずねている。リトビネンコに電話をかけたのは6分後である。

「早く来てくれ。待っている」

 彼には家族と一緒にサッカーを観戦する予定があった。会話は39秒間だった。

 当時の様子を監視カメラがとらえている。ルゴボイは険しい表情で、左手を上着のポケットに入れている。顔色は悪い。

 ロビーにいたコフトゥン(注:リトビネンコが暗殺されたと思われる場に同席したロシア人)は午後3時45分、男性用トイレに消え、3分後に再び現れた。

 リトビネンコの証言では、会談は当初、翌2日の予定だった。ところが、ルゴボイから11月1日朝に電話が入り、「もう到着しているので、短時間でも会いたい」と言われた。「ミレニアム・ホテルで午後5時」と決まったが、ルゴボイの希望で1時間前倒しになった。サッカー観戦のため早めにホテルを出たいという。ルゴボイはCSKAモスクワの熱心なサポーターで、試合のたびにロンドンにやってきた。ルゴボイは後にこう証言する。

「サーシャ(注:アレクサンドラ・リトビネンコの愛称)の方から会いたいと言ってきた。サッカー観戦の当日、電話を受けた。彼はこう言った。『今日会わなければならない』と」

 ただ、ホテルの記録では電話をかけたのはルゴボイである。

 この日のアーセナル対CSKAの試合会場は、ロンドン・イズリントンにあるエミレーツ・スタジアムだった。ホテルからはゆっくり行っても一時間もかからない。キックオフは午後7時45分だ。十分余裕があるにもかかわらず、ルゴボイは慌てていた。

 せかされたリトビネンコは午後3時40分、「イツ」を出て、早足で北に向かった。ホテルに着いたのは午後4時前だ。回転ドアを入ると、カーディガンを着たルゴボイがバーから出てきた。リトビネンコは気づいた。

「ハロッズで買ったカーディガンだな」

 ルゴボイは4カ月前、リトビネンコを誘ってロンドンの高級百貨店に行き、Tシャツやカーディガンを買った。支払いは約700ポンドにもなった。当時の為替レートで約15万5000円である。その羽振りの良さがリトビネンコの印象に残っていた。

バーで交わされたやりとり

 ルゴボイは東側のバーを指さした。

「そこの席にいる」

 二人はバーに入った。すでに飲み物がテーブルに並んでいた。ルゴボイが壁に背を向けて座り、リトビネンコは向かいに腰かけた。隣には無愛想なコフトゥンがいた。とても疲れた様子で、「今朝、着いたばかりで、ほとんど寝ていない。眠くて仕方ない」と繰り返した。リトビネンコは彼を詳しくは知らなかった。「二日酔いなのか。あまり愉快な人間ではない」と感じた。テーブルにはマグカップとティーポットがあった。ルゴボイの腕にはお気に入りの時計が光っている。5万ドルのスイス製だ。

 新しい客が加わったのに気づいたウエイターがやってきた。

「何か飲まれますか」

「いや、いらない」

 リトビネンコは懐が寒かった。MI6から当時、月に2000ポンドを受け取っていた。物価の高いロンドンで家族を養うには十分ではなかった。

 何も注文しないのを見て、ルゴボイは言った。

「オーケー。とにかく私たちは早めに出るよ。ここにまだお茶が残っている。飲みたいなら飲んでもいい」

 ウエイターに新しいカップを持ってこさせた。そのカップにティーポットからお茶をそそいだのはリトビネンコである。

 お茶はほとんど残っておらず、カップに半分ほどになった。リトビネンコはこう証言する。

「50グラムくらいかな。何度か飲み込んだが、砂糖の入っていない緑茶で、もう冷めていた。砂糖抜きの冷たいお茶が苦手で、それ以上飲まなかった。それでも、たぶん3、4回飲んだと思う」

 ルゴボイは「サッカーの試合を見にいくから、10~15分話し合って終わりにしよう」と言った。

ルゴボイとの別れ

 リトビネンコとルゴボイ、コフトゥンは翌日予定していた民間警備のグローバル・リスク社とのビジネスについて話し合った。それから20分ほどたったとき、ルゴボイが高級腕時計を見た。妻がそろそろ姿を見せるころだという。すると妻が8歳の息子と一緒にホテルに戻ってきた。ルゴボイは上着を着た。

「さあ、行こう、行こう」

 立ちあがるとロビーに出て妻を迎えた。息子イーゴリを連れてバーに戻り、リトビネンコを紹介した。

「サーシャおじさんだ。握手しなさい」

 イーゴリは素直に右手を差し出した。リトビネンコも右手を出した。ついさっきカップでお茶を飲んだ手だった。ルゴボイは家族と一緒にスタジアムに向かい、コフトゥンは「眠りたい」と部屋に戻っている。

 バーの請求書によると、ルゴボイが注文したのはお茶3人分、英酒造大手タンカレー・ゴードンのジン3杯、トニック3杯、シャンパンカクテル1杯、ロメオ・イ・フリエタの葉巻。合わせて70ポンド60セントだった。

 リトビネンコはその後、近くのベレゾフスキー(注:エリツィン政権時代に台頭した起業家、政治家)の事務所まで歩いた。スカラメラ(注:議会の調査分析官。過去の暗殺事件にロシア政府が絡んでいるという情報を入手していた)から受け取った書類を見せるためだった。コピーを手渡されたベレゾフスキーは南アフリカへの出張を控え、目を通す時間がなかった。

 リトビネンコはザカエフ(注:チェチェン独立派幹部。アレクサンドル・リトビネンコの親友)に送ってもらって帰宅した。仕事から帰ると着替えを済ませ、向かいのザカエフ宅で一緒にお茶を飲んだり、食事をしたりするのが日課だった。しかし、この日はマリーナに言われた。「食事は家で用意しているから」と。

 家族が英国に来て、この日でちょうど6年になる。彼女はそれを記念して特別なメニューを用意していた。母から教えてもらった料理で、細く切った鶏肉に卵と青菜を混ぜて小麦粉の生地で包む。リトビネンコの好物だった。体調に異常はなく、食欲もあった。マリーナは言う。

「ホテルでのやりとりについてはまったく聞いていません。この6年間の英国での出来事について話しました。英国人になって初めて迎えた記念日でした」

 家族は約2週間前に英国籍を取得していた。

「トイレで嘔吐したんです。戻ってきても、また吐きます」

 夕飯を終えたリトビネンコは早めに寝ようとした。翌日はスケジュールが詰まっていた。いつもの習慣でパソコンの前に座り、ニュースをチェックした。ベッドに入ったのは午後11時ごろだ。

 横になって10分ほどしたとき、激しい吐き気に襲われた。トイレに駆け込むと、高波のような吐き気が連続してつきあげてくる。マリーナは食中毒を疑った。

「私が台所の片づけを終え、寝室に入ると、彼は気分が悪くなり始めました。トイレで嘔吐したんです。戻ってきても、また吐きます」

 リトビネンコは妻を気遣い、書斎のソファで横になった。夜が明けて彼女が書斎をのぞくと、夫は呼吸がしづらそうだった。

「大丈夫?」

「一睡もできなかった。息が苦しい。窓を開けてくれないか」

「薬を買ってくるわ」

「アハメド(ザカエフ)に電話をしてほしい。彼の孫を学校に送る約束をしているけど、難しそうだ」

 マリーナはさほど重篤だとは考えていなかった。ザカエフに電話で夫の体調悪化を伝えた後、普段通り、車でアナトリーを送った。帰りに胃薬を買ってきた。2カ月前にアナトリーが同じ薬を飲んでいる。

 リトビネンコはルゴボイに電話をして、会合をキャンセルした。ビジネスのため二人でスペインに行く予定だったが、それも延期した。

 症状は改善せず、マリーナは疑い始めた。

「食中毒にしては何かおかしい。毒を盛られたのではないだろうか」

 リトビネンコは前日の飲食について、マリーナに話した。寿司店「イツ」での食事、パイン・バーでの緑茶、そして帰宅後に食べた鶏肉料理。万が一、毒を盛られたとしたら緑茶が怪しかった。「イツ」で食べたのは自分が注文した料理だ。鶏肉料理はマリーナが調理し、家族と一緒に食べている。リトビネンコは疲れた声で言った。

「ホテルのお茶は冷めていて、おいしくなかった。その席に嫌いな男がいたんだ。何という名前だったかな。ルゴボイが連れてきたんだ」

 彼はコフトゥンの名を思い出せなかった。何だか気の合わない男と感じていた。

階段の上り下りさえつらくなり、下痢と血便の症状が…

 症状はますます悪くなっている。マリーナは知り合いの医師に電話した。以前、在英ロシア大使館で勤務していた医師で、普段から息子の体調について相談に乗ってもらっていた。

 医師は手術の予定があり、すぐには診察できなかった。リトビネンコはアドバイスに従い、薬を飲んで水分を補った。胃の中を空にしたはずなのに吐き気は治まらない。これまでに経験のない疲労感が襲ってくる。

「救急車を呼んでほしい」

 彼がそう言ったのは3日午前3時ごろだ。マリーナは驚いた。

「サーシャは普段タフで、医者の診察をほとんど受けていません。その彼が救急車を求めたのですから、よほどつらいのだろうと思ったんです」

 救急車は5分ほどで到着した。隊員はインフルエンザ・ウイルスに感染している可能性が高いと判断し、家で休むように言った。病院に搬送した場合、感染を拡大させるリスクがあると説明し、救急車はそのまま引き返している。

 マリーナは夫が次第に神経質になっていったのを覚えている。

「アンナ(ポリトコフスカヤ)の暗殺もあって、緊張したのだと思います。二人でいろんな可能性について話をしました」

 階段の上り下りさえつらくなった。下痢と血便の症状が出た。呼吸が苦しく、「心臓が止まりそうだ」と訴えた。胃の痛みも激しい。食中毒やインフルエンザとは思えなかった。

 マリーナが再度、医師に電話すると、すぐにやってきてくれた。診察の結果、感染症の疑いがあると言われた。それでも衰弱があまりにも激しいため、病院で診てもらうべきだと判断された。救急車が来たのは午後4時ごろである。

 心配したザカエフが家から出てきた。友人の変わりように驚き、信じられないといった表情をした。

 リトビネンコはそのまま、ロンドン北部のバーネット・アンド・チェイス・ファーム病院に運ばれ、救急外来(A&E)で検査を受けた。マリーナは近くの駅まで息子を迎えにいった後、病院に向かった。夫はエックス線検査を受ける際、ロシア正教会の十字架のネックレスを外していた。どんなときでも身につけていた十字架を外している姿が、彼女には強く印象に残った。

〈 「国外での殺害を命じられる者は一人しかいません」髪は抜け落ち、口内には腫瘍が…暗殺犯の毒牙にかかった男性が明かした“異様すぎる事件” 〉へ続く

(小倉 孝保/Webオリジナル(外部転載))

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